9/12
飼い犬の寿命がもう長くないことを知って、悲しくなって、カメラロールをさかのぼっていたら、元気な頃の犬が走り寄ってくる動画を見つけて、それでもっと悲しくなって、泣いて、そのまま寝た。
泣いたせいで左目だけ二重になって、もとに戻らなくて、そのまま学校に行った。犬が病気だとか、そういったことはあまり話さないものなのだろうけど、どうしても話したくなって、話した。僕も友達もそうそう会話が上手な人ではないから、つまらないものになって、(そもそも話題が悪いのだろうけど)話さなければよかったかなと思った。僕が逆の立場であったとき、ちゃんと話を受け止めることができるだろうか、そういった話をしてもよいと思われているだろうかと考えた。たぶんそうは思われていないだろうなと思って、言葉に気を付けようと思った。
飼い犬も悲運の犬であるから、彼女の物語とか、人間のエゴとか、「悲しさ」とか書いてみようかと思ったけど、難しいからやめた。言葉に気を付けようと思ったから、やめた。
人間が悲しむのは、言葉を介さずに済む飼い犬とか身近なものの死で、悪質ブリーダーの話とか、殺処分の話を知っていたとしても、すべて「悪質ブリーダー」「殺処分」の単語に収まってしまう。悲しいの一言で悲しさが伝わるほど人間は抽象的ではないようだ。(だから僕の飼い犬の話を書くのを諦めたわけではない。ただ難しいから。)
久しぶりに泣いた。僕は小さい頃、よく泣いていたような気がする。泣き虫だった。弱いから泣いていたのかもしれないし、泣くのは男らしくないとかそういったジェンダー意識が弱い家庭だったのかもしれない。
(そんだけ)