私の心の支えになっているのはスワローズ
この記事を見て、
私の経験も書こうと思った。
私が、スワローズファンになったきっかけ
(読みたい人は読んでください)
私は、9年前、中学1年生の秋に日本シリーズをテレビで見て、スワローズファンになった。
きっかけは日本シリーズ第3戦。
山田哲人選手の3打席連続HRをテレビで見て、喜んだ。
私は、神宮球場のスワローズファンの応援が、テレビ越しではあるが大好きになった。(特に傘を使う東京音頭が記憶に残った。)
それがきっかけで、私も、スワローズファンになりたい!って思ってスワローズファンになった。
学校に行きたくなかった
7年前、受験生(中学3年生)になって初めて登校した日。私は泣きながら登校した。保健室で保健の先生が話を聞いてくれて救われた。その日だったか翌日だったか忘れたが、保健室登校をスタートした。
1学期の最初は、保健室と教室を行き来し、なんとか授業を受けることができた。
しかし、1学期の途中から、欠席が増えた。
理由の一つが、クラスメイトに陰口を言われたりしたことがきっかけで学校に行きたくなかった。(それ以外にもきっかけはあったけど割愛します)
学校に行けた日で、教室で授業を受けたいって思った日もあって、保健室から教室に行くチャレンジをした。でも、教室に近づいてきたと思ったら廊下の途中で過呼吸を起こしてしまったこともあった。
これが、今の自分なんだとその時は思った。教室に入ることもできなくなった。前出来たことができなくなるってこういうことなんだってその時は思った。
過呼吸という症状がいつ出てくるのかわからないためとても辛く、一生付き合わなければいけないのかなと不安になっていた。
出席日数が足りなくなりそうだったため、2学期からは、毎日学校に登校した。参加できるときは、授業に参加をした。(保健室登校なのは変わりなかった。)
スワローズに勇気をもらった
7年前、起きるのが辛い、学校に行くのが辛いと思っていた。私はスワローズが、最後まで諦めることなく試合で頑張っている姿をテレビとかで見て、私は、諦めずに応燕(=応援)していた。スワローズに勇気をもらって、自分は、学校に行くことを頑張ろうと思えた。
補足
7年前は、2017年シーズン。スワローズはシーズン96敗。あの時は負けがほとんどのシーズンだった。私は、スワローズを応援することで、忍耐強さが身に付いた。
高校時代もスワローズが心の支えになった
6年前、中学を卒業し、高校に進学。
高校3年間を振り返ると、通学に関しては、車で往復1時間ながら毎日高校へ送ってくれた親に感謝しています。
高校の最初は授業についていくので精一杯だった記憶があったけど、だんだん付いていくことが出来ました。教室で授業を受けることと部活もしっかり頑張りました。
あと、自分自身の心に関しては、中学時代同様、メンタルの波はありましたし、希死念慮も少しあった。正直、泣いた日もありました。
そんな高校時代も、私の心の支えになったのは、スワローズでした。
スワローズを応援することで、少しずつだけど、自分らしさを取り戻すことができたおかげで、中学時代よりは笑顔でいれた日が増えていたような気がしています。
高校3年間の経験で得られたことはたくさんあり、良いクラスメイトと良い先生方に恵まれ、高校を3年前の3月に卒業出来ました。
高校卒業後は、社会人生活を頑張っています。時々、過呼吸になることもあるけれど、無理せず日々を自分のペースで頑張っています。
私の心の支えになっているのはスワローズ
中学時代も、高校時代も、社会人として頑張っている今も、心の支えになっているのはスワローズで。
私は、今ここからの歌詞で
好きな歌詞があります。
私にとって、スワローズとは心の支えであり、辛いことがあった時に、自分自身の背中を押してくれる存在。
スワローズを応燕(=応援)することで、
自分で自分の居場所を見つけることが出来たし、なによりも自分らしさを取り戻すことが出来た。
本当にスワローズ、ありがとう!
最後に末筆ながら、一言。
「東京ヤクルトスワローズが大好きです!
これからも応燕しています!」