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【エッセイ】雨ニモ負ケテ忘れる
車で帰宅途中、住宅街の車線がない市道で、前方を走っていた某集配業のトラックがハザードをたいた。
お、停まるのか。
少しまだ距離があったので、私はそれを追い越そうと、正面や後ろから車や歩行者が来ないことを確認しつつ車をゆっくりと右側にはみ出したところで、トラックがすぐに動き出した。
運転手さんが窓から腕を振り下ろした。
ごめんねー
のようにも見えたし、
追い越してくんなよ!
にも見えた。
受け取り方によっては真逆の感情をもたらされることは、普段の生活でもよくある。
受け取り方だけで自分の心が穏やかでいられるなら、なるべくならいい方に受け取りたい。
暇そうな人に
「忙しそうだから私がやっとくね」
なんて言ったらただの嫌味だし、本当に忙しい人にいえば感謝してもらえる言動かもしれない。
ただ本当に暇だったとしても、そんな風にいわれたらさすがにカチンと来る。
ちゃんと、「手が空いてるならやれよ」、に聞こえるのだ。
一方、本当に忙しくしている中、「暇そうだね」、なんて言われたら。
私が漫画の作画なら完全に青筋怒りマーク(赤)が2、3個は描かれる。そして自分の心がこれ以上波立たないように、今後一切この人の言葉を心に入れない、と決めるだろう。
自分の中の相手への好感度がガクンと下がる音がするのだ。
もしシュミレーション対人ゲームなら、相手は完全に会話の選択肢を間違えている。
世間的に評判のよくない「頑張れ」の方が100倍いい。(むしろ私はスキだ)
言葉が持つ属性がある。
暇、という言葉自体、自虐的であり、他人に対して使うのは他虐的であると考える。
忙しいというのは自己評価にすぎず、過大評価の可能性もある。
行動の持つ温度がある。
車同士がすれ違うとき、手を上げたり会釈したり、夜で見えにくければライトを点滅させたり、クラクションを軽く鳴らしたり。
これらはありがとう、ごめんね、という意思を伝えたくてする行動だ。この行動をし合う時、温かくて誇らしい気持ちになる。
見ず知らずの人と交換する温度だ。
けれど何も干渉のない状態でこれらの事をされると身構える。
何かやっちゃったか?すわあおり運転?!とビビる。
行動によって生まれる温度の交換だとわかるから、受け取り手も気持ちよく受け流せるのであって、何の温度も生まれていない関係でアクションをされると混乱するのだ。
あの配達トラックの運転手さんは、おそらく感謝の意味で手を振り下ろしただけだろう。
きっと窓から手を出して上げて、「ごめんね」としてから、腕を仕舞うために手を下ろしただけだ。
だがあの時、私の車とトラックの間には物理的にも距離があったし、心の通い合いもなかった。
言葉のやり取りも、もちろんない。
振り下ろした手が素早すぎた、ただそれだけの違和感で、イラつきが伝わってきた気がしたのだ。
いつでもフラットな状態で、だれも波立たせず行動したい。
時々宮沢賢治が頭の中で雨にも負けずと謡いだす。
私の中のでくのぼうは気にすんな!と言っているのに。
でも私は忘れることにだけはでくのぼうに勝てるはずだ。
嫌なことも、一昨日の夕飯も、すぐに忘れる。
何のトラックに乗っていたのかもすぐに。
…多分。
ヘ(゚∀゚ヘ)
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