谷川俊太郎さん
詩人 谷川俊太郎さん 92歳死去。
とても多作な詩人でしたね。
30年以上前、私が大学生だったころ、
なにかの講義で谷川俊太郎さんが来たことがありました。
最初見た時は、かなりお爺ちゃんだなあという印象。
その時谷川さんはすでに60歳超えてたから
20代学生から見たらそんなもんでしょう。
でも話し始めたら、あまり年齢は気にならなくなりました。
話す口調も柔らかく、かと言って砕け過ぎず。
なぜ詩人になろうと思ったんですか?
という質問に
と答えてたのが印象的でした。
よく聞かれ過ぎて面倒になったのかなぁとも思ったけれど、
生まれながらなら仕方ないですね、という雰囲気にもなりました。
いろいろお話しされてた中で
私が覚えているエピソードを書いてみます。
谷川俊太郎さんが恋人と
1階、2階という近さで暮らしていた時、
彼はほぼ毎日ラブレターを送っていたのだそう。
そんな近さでほぼ毎日は凄いよね。
と、谷川さん自身も自分でツッコミを入れてました。
そして、かなりの日数が経った時、
それを詩集で出そう、と思ったのだそう。
彼女さんに許可を得るべく話に行くと
最初は戸惑いつつも、しぶしぶしつつも、
わかった、じゃあ手紙、とってくるわね、
と言った時、
大丈夫大丈夫、
全部コピーしてあるから。
・・・
彼女、ドン引きしてたけどね。
と、笑って話してましたが、
20代の私もドン引きしました。
と同時に、表現者のまわりの人は大変だなぁとも思いました。
彼は、自分の書くものはすべて
作品ととらえて取り組んでるのかな?
とっても私信なラブレターすらも。
公になっても大丈夫なものを書くのか。
大丈夫なように書くのか?
なんだか凄い感覚だなあ・・・
と思った・・・そんな、学生のころの思い出です。
谷川俊太郎作品、私は3冊持っています。
かなり昔に買ったもので、
度重なる引越しにも捨てずに売らずに
今も手元にあるのは
の3冊。
クレーの絵本は友人から誕生日プレゼントでもらったもの。
柔らかな色彩のクレーの絵に、谷川さんの詩が添えられています。
定義は私自身が尖ってた時に買った詩集。
正確な散文を書くことによって詩に接近できるか!
詩の曖昧さを突破った実験詩集、というのが本の帯のコピー。
詩に接近って意味不明なんだが。
久々に開いてみると、これって活版印刷だったのかな・・・
私が所持してるのは1989年の4刷目。
初版は1975年らしいから、かなり昔の詩集ですね。
読んでて癒される〜という作品ではないです。
空に小鳥がいなくなった日は、
「朝」という詩の中の
という部分で心鷲掴みにされて即購入。
今も変わらず好きな詩です。
そしてこれからも好きな詩です。
すてきな詩をたくさん、ありがとうございました。