時に恥ずかしく、時に楽しく、時に悲劇を生む心の友。硫化水素、二酸化硫黄、二硫化炭素、インドール、スカトール、亜鉛などのガスが大量に発生し、時には臭いが強い。一日の内、幾度となく放屁する。
 人がいれば、なんとか音を最小限に抑えようと、穴をコントロールするが、むしろ高い音がでて赤面する。人知れず放屁を遂行できた安堵感は、トイレに間に合ったが如く。一方で、一人の時は思いっきりぶちまける。大きく、良い音がでたときは、つい嬉しくなる。臭ければなおの事。
 何故、喜びが迸るのか。人の感情は不思議なものだ。中には他人に嗅がせようとする変人も存在するが、意味がわからない。或る種の性癖か。他方、屁、そのものが若干面白い。嫌悪感と同時に、少し笑ってしまう。人が排出する物質のなかでは、人気上位だろう。私は好きだ。他意はない。
 そして、調子に乗り、歪な管楽器のように連発していると、時に「実」も含まれる。これは、肛門の検問係が屁と間違って、通してしまった結果。 
 放屁後に、一人悲しくパンツを洗う姿は見れたものではない。屁アクティビティはリスクがつきもの。注意が必要である。
 子供のころを思い出すと、お風呂で入浴中の「屁」が浮かぶ。音と同時に泡が浮かんでくる様子が楽しく、やや臭いも感じられて心に残っている。
自分の屁の歴史を紐解いてみても、あまりネガティブな思い出は無いように思える。

 それにしても、本稿を含めてここ三日間、生臭い放屁のような記事がつづいている。単なる分泌物。吐しゃ物。ネタ不足を誤魔化す、地獄の底の咆哮。どんな下劣な表現をしても足りない。責任者は何者か。自分自身である。最大の敵は自分の中にいる。デヴィッド・クローネンバーグ監督の新作「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」のように、私の悪性腫瘍を摘出してもらいたい。レア・セドゥのオッパイは好みである。ブッ。

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