ことばであそぼ「第三回」

 三回目を迎え、慣れてきた節がある。それが劣化に繋がらないよう、ほんのり緊張感を持って書いていこう。と、自分を律していかないと、クオリティは奈落の底に真っ逆さま。書くこと自体に慣れ切った今、惰性と言う名の悪魔は、常に背後で彷徨っている。なんだか辛気臭くなってきたので、そろそろスタートしていこう。

「あまり無双」
これは昨日のnoteのタイトルから浮かんだフレーズ。
「あまりに、あんまりな、あまりさんのあまりものは、あまりいらない」
 
「あまり」は、名詞では余ったもの。残り物。形容動詞では程度が甚だしいさま。並外れているさま。副詞の場合は「あまり食べると腹壊すよ」と使う。あんまりとも言う。接尾語では数量を表す語が付いて、それより幾分多いことを表す「一人あたり〇〇個あまり」。
あまりさん=甘利。苗字(全国順位3005位、全国人数4300人)
 日本語はややこしい。一つの単語で使い方が多い。これをゼロから完璧に覚えるのは至難の業だなぁ。

「〇〇活について」
 近年では推し活、パパ活、終活、朝活など、なにかと「活」がつく。例えば就活は就職活動の略。部活は部活動の略。日本人はそんなにも活動的だったのか。ならば、とんかつの食べ歩きが趣味なら、「トン活」なのか。
 ここまでくれば、生活は「生きる活動」生きることが趣味ということか。なんだか気持ち悪くなってきた。何か流行ると、何にでもつけるこの癖はなにか。人間の本能とは違うと思う。

「この苗字で、これはマズい」
 苗字が「児玉」の場合、のぞみは駄目。新幹線ちゃん呼ばわりされてしまう。「水田」の場合、真理だと、みずたまりに。「近藤」の場合、睦子だとコンドームに。などなど、親は何を考えていたのか、何も考えていなかったのか。後で気づいたのか。改名はそんなに楽な手続きではない。子供の命名という大事なイベントで、何故に事故が起きるのか。
 別の意味が発生する名前を持つ人を集めて、あるあるについて語り合ってほしい。他方、「大谷」で翔平は名前負けしそうで、その辺のキラキラネームより問題がありそうだ。

「散歩。について」
 ふと思った。なぜこんな漢字なのかと。散る歩み? ストレス発散歩き?
気晴らしや健康のために、ぶらぶらと歩くこと。散策、そぞろ歩き、逍遥(しょうよう)ともいう。ウォーキングと混同されるが、散歩のほうは気晴らしの意味が強い。らしい。
 
 散歩と学者は縁が深い。アリストテレスは弟子たちと散歩し語らうことを好み、逍遥学派と呼ばれた。ドイツの数学者ガウス、哲学者の西田幾太郎や田辺元などあげればキリが無い。らしい。
 
 閑話休題。語源について。中国の三国時代に五石散(今でいうドラッグ)が貴族や文化人のあいだで、滋養強壮薬として流行した。服用すると体が熱くなり(散発)、散発がないと体に毒がたまり害になるとされた。そのため、散発のために歩くことを散歩と言うようになり、転じてただ歩くことを「散歩」となった。らしい。
 
 言葉に歴史あり。奥が深い。そしてウィキペディア、ありがとう。

「青春」
 二千数百年前の古代中国における陰陽五行思想において、「春」には「青(緑)」が当てられ、「春」は十五歳から二十九歳を表す。日本では夏目漱石の『三四郎』のヒットを機に定着したと言われており、同書の『考えるには、青春の血が、あまりにも若すぎる』は有名。
 それはそれとして、赤い春はない。あってもよさそうだが、そもそも語源からして無いのも仕方ない。「夏」は「朱(赤)」、「秋」を「白」、「冬」を「玄(黒)」で、青春・朱夏・白秋・玄冬と言って、季節を表す。いろいろな色の春は、単語として存在しないらしい。
 私の青春は玄冬を帯びていた。「アオハル」なんて訓読みした奴、出て来いよ。いや、困るから引っ込んどいてくれ。

 かなり無理しながら、ここまで書いてきた。まったくインターネットって奴は便利すぎる。疑問があったら答えてくれる。こいつがなかったら、本当に何もできない。noteすら書けないし、存在しない。
 今さらながら、『IT革命』を実感する。
 ありがとう、大卒の人。高卒の私はその恩恵を日々受けながら、日々noteを書き続ける。が、そろそろ「ことばであそぼ」に関しては、かなり真剣 にネタを探さないと、奈落の底に落ちそうだ。勉強、勉強、勉強、、、、。

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