待機と動向

 木曜日のショートショートにおける「鈴木」シリーズは、無期限「待機」致します。粗製乱造といった雰囲気が漂い、当初考えていたようにはいかなかったことが原因です。
 狙いは「頼りない鈴木が、日常から非日常を自由に行き来し、活躍させる」ですが、現実は、人物像が定まらずに苦し紛れな結果に終始。
 このまま「鈴木」シリーズを無理につづけても、成果はないと、計画を変えるということです。これはそこまでネガティブな話ではなく、寝かせておいて、また、機会をみて復活、という話ですね。
 毎日欠かさず書いているからこそ、そこまで固執することなく、今回のような判断が下せると(少し偉そう)、改めて思う次第。あまりに自分の作品が好き過ぎると、本当は削ったり、足したり、変えたり、また、止めたりする必要があるはずが、それが出来ない。そして進歩しない。
 私は進歩したい。
 鈴木は待機。
 では、復活するとして、何が必要だろうか。
 いや、そもそも復活するかどうかすら分からないので、考えても仕方がない。もとい、面倒である。根が物臭にできているうえ、その場の思い付きと勢いとフィーリングを大切にするロマンチストである私は、とどのつまり、程よく適当に楽しみたいのだ。
 と、同時にクオリティを高めたいというモチベーションも、沸々と迸ってもいる。
 そのやる気があるうちに、どんなネタでショートショートを書いていこう。これは、しっかり考えていく。
 私の作風からいって、SFが多い。とはいえ、ソフトもソフト、ダブルソフトすぎるSFです。物理学博士でも、理系の大卒でもない私にとって、ハードSFはハードルが高すぎる(勉強はじめてもいいかも?)ので、当然の帰結です。
 扱うモチーフはロボット、宇宙船、アンドロイドが多い。もう少し幅を広げていきたい。それがこれからの「動向」です。
 もう少し、SF世界の生活感を表現していきたいと、前々から思っていたし、鈴木を待機させたことで、改めてそう思った。果たして「生活感」とは何か? ここがはっきりしないと、大事故になる。やる前から分かる。
 経験者は語る。
『架空のあるある』ではないか。思いつきである。未来世界の日常の一コマを切り取り、しっかりと描写して、ええ感じで落とす。なんだか、いいものが書けそうな気がして来た。気のせいかもしれない。
 こんなところで、今回は書けることがなくなってきたが、如何せん、文字数が足りない。この広場に出てしまうと、迷子になった五歳児も同然であって、心もとないことこの上ない。いくら泣き叫んだとしても、無駄であるし、「書くことが見当たらない」とは物書きの端くれとしても、情けないかぎりである。犯罪的ですら、ある。軽犯罪に該当する気がしてならない。
 それは言い過ぎとして、
 どうも私は「見切り発車」が過ぎる。これは悪癖と言っていいだろう。それが功を奏したケースもあるだろうが、全く思い出せない。つまり、やはり見切り発車は駄目だ、ということ。それはそれで、よく毎日欠かさず潜り抜けている。とも言えるが、それは完全に自己満足であって、一応、これでもごく僅かであるが、「読者」がいる。
 その読者を少しぐらいは、楽しませたい。
 こんな時は、時期は、「座学」だ。
 そして、その座学が、私が一番不得意とするところだ。それは子供のころからそうで、まともに勉強したのは、通信制高校に通っていた時ぐらい。単位制だったので、しっかりレポートをだし、テストに合格しなくてはいけない。必要に駆られて、やっていたのだ。
 ならば、今、まさにその「必要」が迫っている。今が、進歩のときであると書いたところで、ふと、思った。
「同じような内容の、決意表明を何度も書いている」
 決意に意味などない。
 実行と、結果以外、なにも必要ないのだ。と、いうような、一見、高次の現実主義に見える言葉にすら意味がない。
 と、いうことで明日からのnoteのクオリティ向上を目指す。
 

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