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完熟プチトマトのフリでもしようか

御年21歳。20を越えて、何故だか少しずつ、『老ける』ということを意識し出す。新入生を見て「若いねぇー」なんて言ってみたり、油モノを食べながら「もうおばさんだよ」なんて同級生と話してみたり。

スウェーデンでの留学生活において、「あなた何歳?」という会話は比較的ワールドワイドに共通の話題としてよくするように思う。お互いの名前を知って、趣味の話をして、そう言えば目の前のあなたは何歳なのだろうと、ふと気になる瞬間があるのである。

「もっと年下だと思ってた」と言われたことがある。当てて見せようかと言って「24歳!」と自信ありげに言われたこともある。はたまた、「うーん、年上? それとも年下?」と同い年の誰かさんは眉をひそめて真剣に私の顔を眺める。

日本人顔は西洋人顔に比べて童顔で愛らしく見えるとか。「君、日本人?」なんて言って、日本人女性はよくナンパされるらしい。実際そんな風に誘われたという日本人留学生を私は何人か知っている。

ゼミの友人はこんなことを言う。
「キキさまは、か弱いイメージはないね笑」
彼曰く「普通にキレられそうだもんな、変な誘い方したら」だとか。

失礼な! 私こんなに優しいのにぃ!
とかなんとか。


廊下を挟んで正面の部屋に住んでいるイタリア人は「あなたは凄く大人だから」と言う。27歳、ヴァレリア。

でもそんなことを言う彼女の方が億倍は大人だ。思いやりがあって、言いたいこと、言わなければならないことはきちんと主張して、どんな相手とも面と向かって丁寧に対話することを好む人。仕事と修士課程の両立でいつも忙しそうだけれど、ちゃんと自分の人生を楽しんでいるし、夢の溢れる将来を見つめている。彼女の話はいつも面白い。アホみたいにくだらないことから、人間の本質を突いたような深いイイ話まで、彼女にかかればなんでも来いだ。

27歳という年齢がどういうものなのかはいまいちわからないけれど、そもそも『人間としての厚み』が違うのではないかと思う。経験値の違いとでも言おうか。

一方で上に住んでいる30歳のウェン。彼女はなんだか浅はかで子どもっぽい行動が多い。22歳のアレッシオは二階から椅子を放り投げたり、キッチンでサッカーボールを蹴ったり。身体は大人、頭脳は子ども…なんとかかんとかってやつだ。私と同じ21歳で、信じられないくらい沢山のことを知っていて、臆せず自分の将来を見据えている人もいれば、いつまでたっても短絡的で幼稚な行動が抜けないように見える人も沢山いる。

別にみんなそろって賢者を目指そうとか言うつもりはない。でも、最近どうしようもなく痛感するのは、人間、年齢じゃなくて経験値で、老い/若さ ではなく 未熟/成熟 なのではないかということで。

もちろん一言で経験値をためると言っても、コスパ・燃費の良いタイプ、言わば1を聞いて10を知るタイプもいれば、1イコール1という人もいるだろうし、100を聞いてやっと1を得る人もいると思う。

生まれてこの方21年間で、私はどのくらい経験値をためただろう、どのくらい分厚い人間になっただろうと、夕暮れ時の15時前、ふと思うのである。

良い人になりたいだなんて思わないし、そんなことを考えるのは不毛だと思うけれど、何とか熟した人間になれないかと思うのは、そんな人が輝いて見えるからかなと思って。そういう人に助けて貰って、支えられている自分を痛いほど感じているから。


自分で言うのはなんだか恥ずかしいけれど、朝、洗面所で鏡を見ると、ふと思うことがある。強い人間の顔になったなと。暴力的になったとか粗野になったとかそういうことではない。ただ、ツンと張り詰めたこの国の青空のように、以前はなかった凜々しい何かを自分自身の内側から感じるのだ。

未だに雪が嬉しくて小躍りしたりする自分だけれど、最近お気に入りの真っ赤で甘いプチトマトみたいに、完熟のフリくらいはしても良いかもしれない。ナンパよけに。

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