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記号論(チャールズ・サンダース・パース)
ソクラテス: 今日は、アメリカが生んだ偉大な哲学者であり、プラグマティズムの創始者の一人として知られるチャールズ・サンダース・パースさんをお迎えしています。パースさん、論理学、数学、科学哲学など多岐にわたる分野で顕著な業績を残されており、特に記号論の分野ではその独創的な理論で後世に大きな影響を与えています。今日はパースさんの思想の核心に触れつつ、「記号」という普段あまり意識しないけれど、実は私たちの生活のあらゆる場面に関わっているテーマについて議論したいと思います。パースさん、よろしくお願いします。
パース: ソクラテスさん、こちらこそ、よろしくお願いします。
ソクラテス: さて、パースさん。私たちは日々、言葉を使って会話をしたり、本を読んだり、様々な形で情報を受け取ったり、発信したりしています。しかし、そもそも、私たちが言葉や記号を理解できるのはなぜなのでしょうか? 例えば、私が「赤いリンゴ」と言うとき、あなたも私も同じような果物を思い浮かべることができます。これはよくよく考えると不思議なことではありませんか?
パース: ええ、ソクラテスさん。それは非常に重要な問いです。私たちが言葉や記号を理解できるのは、それらが単なる音や形の羅列ではなく、「何か」を表しているからです。私はこの「何か」を表す働きをするものを「記号」と呼び、記号が「何か」を表すプロセスを「記号作用」と呼んでいます。
ソクラテス: なるほど、「記号作用」ですか。それは具体的にはどのようなプロセスなのでしょうか? 先ほどの「赤いリンゴ」の例で言うと、どのようなことが起きているのでしょうか?
パース: 「赤いリンゴ」という言葉は、まず、「赤色」で「丸い形」をした「果物」という、ある特定の対象を表しています。しかし、それだけではありません。「赤いリンゴ」という言葉は、私たちの心にその対象のイメージや概念を呼び起こします。私はこのイメージや概念を「解釈項」と呼んでいます。そして、記号が対象を解釈項として表すこの三項関係、つまり「対象」「記号」「解釈項」の関係こそが、記号作用の本質だと考えています。
ソクラテス: 「対象」「記号」「解釈項」の三項関係ですか。それは例えば、友人が遠くから手を振っているのを見て、「ああ、彼は私に挨拶をしているのだな」と私が思う、というようなことでしょうか? 手を振る動作が「記号」、挨拶という意図が「対象」、私の理解が「解釈項」となるわけですね。
パース: ええ、まさにその通りです。友人の手の動きは、挨拶という意図をあなたに「表象」していると言えます。
ソクラテス: では、なぜあなたは記号をそのように三項関係で捉えることが重要だと考えるのですか? そう考えた理由、背景、文脈を教えてください。
パース: 従来の記号の捉え方、つまり、記号を「記号」と「対象」の二項関係で捉える考え方では、記号の本質を捉えきれないと考えたからです。たとえば、狼煙(のろし)を考えてみてください。狼煙は遠くで火事が起きたことを知らせるために使われますが、狼煙そのものは火事ではありません。狼煙が火事の「記号」として機能するためには、それを見る人が狼煙と火事の関係を理解している必要があります。つまり、狼煙を見た人の心に「火事が起きているかもしれない」という「解釈項」が生まれて初めて、狼煙は記号として意味を持つのです。
ソクラテス: なるほど、二項関係では不十分だと。しかし、解釈項というものがどうも曖昧な気がします。もう少し詳しく説明していただけますか? たとえば、私が「正義」という言葉を聞いたときに、私の心に浮かぶ「正義」のイメージとあなたの心に浮かぶ「正義」のイメージは、完全に同じではないかもしれません。そうすると、「解釈項」は人によって異なる、ということになりませんか?
パース: ええ、おっしゃる通り、解釈項は人によって、あるいは同じ人でも状況によって異なることがあります。しかし重要なのは、解釈項が完全に個人的なものではなく、ある程度、社会的に共有されているということです。そうでなければ、私たちは言葉を使ってコミュニケーションすることができません。「正義」という言葉も、人によって多少イメージが異なるかもしれませんが、それでも、私たちは「正義」という言葉を使って、ある程度共通の理解を共有することができます。
ソクラテス: 社会的に共有されているというのは、たとえば、裁判官が判決を下すときに参照する、法律のようなものもそうなのでしょうか?
パース: 法律も、解釈項の一つの形と言えます。しかし解釈項は、法律のように明文化されたものだけでなく、もっと漠然とした、暗黙の了解のようなものも含まれます。たとえば、私たちは相手の表情や声のトーンから相手の感情を読み取ることができますが、これは表情や声のトーンが感情の「記号」として機能し、私たちの心に相手の感情の「解釈項」を生み出すからです。
ソクラテス: なるほど、暗黙の了解も解釈項になりうる、と。ところで、あなたは記号を三つの種類に分類していると聞きました。その分類について、詳しく教えていただけますか?
パース: はい。私は記号を、その対象との関係に基づいて、「アイコン(Icon)」「インデックス(Index)」「シンボル(Symbol)」の三つに分類しています。
ソクラテス: それぞれ、具体例を挙げて説明していただけますか?
パース:
アイコンは、対象と形や性質が似ていることによって対象を表す記号です。たとえば、肖像画や写真、地図などがアイコンにあたります。
インデックスは、対象と物理的、時間的、空間的に連続していることによって対象を表す記号です。たとえば、煙は火のインデックス、足跡は動物のインデックス、風見鶏は風向きのインデックスです。
シンボルは、対象との間に、恣意的、社会的な約束事があることによって対象を表す記号です。たとえば、言葉、国旗、交通標識などがシンボルにあたります。
ソクラテス: なるほど、よくわかりました。この三つの分類はそれぞれ排他的なものなのでしょうか? つまり、ある記号は必ずどれか一つの種類に分類される、ということでしょうか?
パース: いいえ、必ずしもそうではありません。一つの記号が複数の種類の記号としての側面を持つこともあります。たとえば、道路標識の「止まれ」は、赤い八角形という形で「停止」をアイコン的に表すと同時に、道路交通法という社会的な約束事によって「停止」をシンボル的に表しています。
ソクラテス: なるほど。この三つの分類には、どのような利点があるのでしょうか? この分類によって、何が分かるようになるのですか?
パース: この分類によって、記号がどのように対象を表しているのか、そのメカニズムをより深く理解することができます。また、記号の解釈がどのように行われるのか、そのプロセスを分析する上でもこの分類が役立ちます。
ソクラテス: なるほど。あなたの記号論は、他の似たような考え方、たとえば、ソシュールの記号論とは、どのように異なるのでしょうか?
パース: ソシュールの記号論は、主に言語記号を対象としており、記号を「シニフィアン(記号表現)」と「シニフィエ(記号内容)」の二項関係で捉えています。一方、私の記号論は、言語記号だけでなく、あらゆる種類の記号を対象としており、記号を「対象」「記号」「解釈項」の三項関係で捉えています。また、ソシュールは記号の意味を他の記号との差異によって決まると考えましたが、私は記号の意味を解釈項との関係によって決まると考えました。
ソクラテス: 対象とする範囲と、記号の捉え方が違う、ということですね。あなたの記号論は人間の思考や行動、あるいは社会や文化を理解する上で、どのような意義を持つのでしょうか?
パース: 人間の思考や行動は記号の働きなしには成り立ちません。私たちは記号を使って世界を認識し、記号を使って他人とコミュニケーションし、記号を使って思考します。したがって、記号論は人間の思考や行動のメカニズムを理解する上で不可欠なものと言えます。さらに言えば、社会や文化は記号の体系によって成り立っています。たとえば法律、宗教、芸術、科学などはすべて記号の体系です。したがって、記号論は社会や文化の構造や機能を理解する上でも重要な役割を果たします。
ソクラテス: パースさんの記号論の概要はよく理解できました。ここからは記号論の持つ射程や限界について、さらに深く掘り下げてみましょう。まず、あなたの言う「対象」ですが、これは物理的な存在に限られるのでしょうか? たとえば、「正義」や「自由」といった抽象的な概念も「対象」となりうるのでしょうか?
パース: はい、「対象」は物理的な存在に限りません。抽象的な概念も思考の対象となりうる限り、「対象」とみなすことができます。
ソクラテス: なるほど。では、次に「解釈項」についてですが、これは必ずしも意識的な思考の結果でなくてもよい、ということなのでしょうか? たとえば、私たちが無意識のうちに行っている知覚や判断も、「解釈項」の一種と考えることができるのでしょうか?
パース: ええ、その通りです。解釈項は、意識的な思考の結果であることもあれば、無意識的な反応であることもあります。たとえば、熱いものに触れたときに思わず手を引っ込める、というような反射的な行動も、解釈項の一種と考えることができます。
ソクラテス: そうすると、あなたの記号論は、人間の心の働きだけでなく、動物の行動や、さらには機械の動作まで説明できる、ということになりますね。それは非常に野心的な試みですが、同時に危険な試みでもあるように思われます。あなたの記号論は、人間と動物、あるいは人間と機械の区別を、曖昧にしてしまうのではないでしょうか?
パース: 確かに、私の記号論は人間と動物、あるいは人間と機械の間に、明確な境界線を引くことを難しくするかもしれません。しかし、私はそのことを必ずしも問題だとは考えていません。むしろ私は、人間と動物、あるいは人間と機械の間に連続性があることを示すことこそ、記号論の重要な役割だと考えています。
ソクラテス: 連続性、ですか。しかし、人間には動物や機械にはない、特別な能力があるのではないでしょうか? たとえば、人間は言葉を使って抽象的な概念を操り、複雑な論理的思考をすることができます。このような人間の能力を、あなたの記号論はどのように説明するのでしょうか?
パース: 確かに、人間は言語という強力な記号体系を持っています。しかし、言語もまた記号の一種に過ぎません。私は、人間の特別な能力は言語そのものにあるのではなく、言語を使ってより複雑な解釈項を生成し、操作する能力にあると考えています。そして、この能力は、他の記号体系、たとえば動物のコミュニケーションシステムや、機械の計算システムにも、ある程度は存在すると考えています。
ソクラテス: なるほど。あなたの記号論は人間の創造性、たとえば芸術作品を生み出す能力を、どのように説明するのでしょうか? 芸術作品は単なる記号の羅列ではなく、何かそれ以上のもの、たとえば「美」や「感動」といったものを表現しているように思われますが、あなたの記号論はこれらの要素をどのように扱うのでしょうか?
パース: 芸術作品は、確かに非常に複雑な記号の働きによって成り立っています。芸術家はさまざまな記号、たとえば絵画における色彩や形態、音楽における音程やリズム、文学における言葉やイメージなどを組み合わせて、鑑賞者の心に特定の解釈項を生み出そうとします。これらの解釈項は通常の記号解釈を超えた、より高次のものと考えることができます。私自身は明確に述べていませんが、これをあえて「美的解釈項」と呼んでみましょうか。これは私の記号論から自然に導かれる考えだと思います。
ソクラテス: 美的解釈項、ですか。それは興味深い概念です。しかし、それはどのようにして生まれるのでしょうか? それは芸術家の意図によって完全に決定されるのでしょうか? それとも、鑑賞者の個人的な経験や感性によって異なる解釈項が生まれることもあるのでしょうか?
パース: 美的解釈項は、芸術家の意図と、鑑賞者の経験や感性の両方が相互作用することによって生まれる、と考えられるかもしれません。芸術家は特定の解釈項を生み出すことを意図して作品を制作しますが、鑑賞者はその作品を自分の経験や感性に基づいて解釈します。したがって、同じ作品を見ても、人によって異なる解釈項が生まれることは十分にありえます。
ソクラテス: パースさん、今日のお話で、あなたの記号論が単なる記号の分類学ではなく、人間の思考や行動、社会や文化のあらゆる側面を説明しうる非常に強力な理論であることがよく分かりました。とくに、記号を三項関係で捉え、解釈項の多様性と動的な性質を強調するあなたの考え方は、私たちが世界を理解し、他者とコミュニケーションする上で新たな視点を提供してくれます。今後の課題としては、あなたの記号論を具体的な問題、たとえば異文化間のコミュニケーションや、人工知能の開発、さらには人間の意識や自由意志といった哲学的な問題に、どのように応用していくことができるのか、さらに深く探求していく必要があるでしょう。今日は本当にありがとうございました。大変勉強になりました。
パース: こちらこそ、ありがとうございました。ソクラテスさんとの対話は、私にとっても、自分の考えを深める良い機会となりました。