道徳感情論(アダム・スミス)
ソクラテス: アダム・スミスさん、本日はあなたの『道徳感情論』について、ぜひお話をお聞かせください。あなたは経済学者として広く知られていますが、経済の分野ではなく、人間の感情や道徳の問題にも深く関心を寄せていらっしゃると伺いました。どうしてこのようなテーマに取り組まれたのでしょうか?
アダム・スミス: おっしゃる通り、私は『国富論』によって経済学の分野で知られることが多いのですが、私が探究したかったのはそれだけではありません。人間の経済的な行動や社会の仕組みを理解するには、まず人が他者とどう関わり、どのような感情を抱くのか、つまり人間の内面的な感情を理解することが重要だと考えました。経済活動もまた、道徳感情によって支えられているのです。
ソクラテス: 経済行動が感情に支えられているという考えは、非常に興味深いですね。それでは、その「道徳感情」とは具体的にどのようなものなのでしょうか? あなたの『道徳感情論』では、人間はどのような感情に従って行動すると述べているのか、詳しく教えていただけますか?
アダム・スミス: 私が特に注目したのは共感の力です。人間は他人の喜びや悲しみを自分のことのように感じることができますが、そうした共感の感情は他者への配慮や道徳的な判断の基盤になると考えています。たとえば、私たちが誰かの苦しみを見たときに胸が痛むのは、その人の痛みを想像し、自分も苦しいと感じるからです。この共感があるからこそ、私たちは他者に対して優しさや正義を持って行動できるのです。
ソクラテス: 人が他者の感情に共感することで道徳的な行動に駆り立てられることは理解できます。とはいえ、すべての人が同じように共感できるわけではありませんよね。他者の苦しみに無関心な人もいますし、共感の度合いも人それぞれ異なるでしょう。こうしたばらつきがある中で、どのようにして道徳的な基準が成立するのか、そこが気になります。
アダム・スミス: 鋭いご指摘です。確かに共感の強弱は個人によって異なるものです。このことに関連して私が提唱したのが「公平な観察者」という概念です。私たちは、自分の行動が他者からどう見られるかという視点を自然に持っています。つまり、実際に存在する他人の目だけでなく、私たちの中に理想的な観察者の視点があり、その視点を通じて自分の行動が適切かどうかを判断できるのです。この公平な観察者が、共感のばらつきを補い、道徳的な基準を形成してくれると考えました。
ソクラテス: 面白い概念ですね。その公平な観察者というのは、いわば人間の内なる道徳的な「目」のようなものですか? では、その観察者はどのようにして育まれるのでしょう? 生まれつき備わっているものなのか、それとも何かの経験や教育によって形成されるものなのか、詳しく教えてください。
アダム・スミス: おそらく、生まれつきの素質として私たちの心に存在していると思います。しかし、それが確かな判断力を持つためには経験が必要です。他者との交流や観察を通じて、他者が感じる感情や反応を理解することが、観察者を成熟させます。そうすることで初めて、私たちは他者だけでなく自分の行動についても客観的に判断できるようになるのです。
ソクラテス: 他者の反応を観察することが、自分の道徳的感覚を磨く助けになるのですね。しかし、自己利益と共感の間にはしばしば対立があるのではないですか? 共感だけで道徳的な行動を取るには限界があるようにも思いますが、どうお考えですか?
アダム・スミス: 確かにその通りですが、私は自己利益を完全に否定しているわけではありません。むしろ、自己利益と共感の調和が重要だと考えています。人間は、自己利益を追求しつつも、他者と共存できる生き物です。これは市場での取引にも通じる話で、自己利益の追求が結果的に社会全体の利益にもつながるという構造を持つのです。このメカニズムを私は「神の見えざる手」と呼びました。
ソクラテス: 個人の利己的な行動が結果的に社会全体の調和に寄与するという視点は非常に興味深いです。しかし、それだと本当に利己的な行動が許容されてしまうのではありませんか? すべての利己的行動が善い結果を生むとは限りませんから。
アダム・スミス: 確かに、利己的な行動のすべてが善い結果をもたらすわけではありません。ですから、自己利益の追求が道徳的に健全なものであるかどうかは、その行動が公平な観察者の視点に耐えうるかどうかにかかっています。他人に迷惑をかけるような自己利益の追求は、観察者の視点から見れば批判されるべきでしょう。市場での取引においても、正直さや信頼性が重視されるのは、そのためです。
ソクラテス: 公平な観察者が自己利益と他者への配慮のバランスを取る役割を果たすというわけですね。では、もしこの公平な観察者の視点が欠如していた場合、社会や個人にどのような問題が生じるとお考えですか?
アダム・スミス: その場合、人々は他者への配慮を欠いた自己中心的な行動を取りやすくなります。これは互いの信頼を損ない、社会全体の秩序や安定を揺るがします。また、個人にとっても、他者からの信頼を失い、孤立することにつながるでしょう。人間は社会的な存在であり、他者からの承認や信頼が重要な意味を持つのです。
ソクラテス: よく分かりました。つまり、人間は一人では完結せず、他者との関係において初めてその行動が意味を持つわけですね。公平な観察者の視点を通じて人々が互いに配慮し合うことで、社会が健全に保たれるということ。しかし、この観察者の視点が成熟するには、十分な教育と経験が必要だという点には、まだ課題が残されているようにも思えます。
アダム・スミス: そうですね。私の理論も完璧ではありません。公平な観察者を育むには、社会全体での教育や倫理的な指導が欠かせないのかもしれません。人々が他者の感情や立場に敏感になり、健全な社会を築くために、私たち一人一人が考え、行動することが重要です。
ソクラテス: ありがとうございます、スミスさん。共感と公平な観察者の視点を通じて道徳を考えるあなたの視点には、多くの示唆がありました。これからも、この理論がどのように発展していくのか楽しみにしています。
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