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声の文化と文字の文化(ウォルター・オング)

ソクラテス:今日は、コミュニケーションと文化に関して深く考察されているウォルター・オングさんをお迎えして、声の文化と文字の文化について議論したいと思います。オングさんは、主に「声」と「文字」という2つのメディアが人間の認識や思考にどのように影響を与えるかについて、幅広く研究されてきました。それでは、まず「声の文化」と「文字の文化」とは何か、簡単にご説明いただけますか?

ウォルター・オング:ありがとうございます、ソクラテスさん。「声の文化」と「文字の文化」という区分は、簡単に言うと、主にコミュニケーション手段の違いに基づく文化の違いです。「声の文化」というのは、まだ文字を持たない、あるいは文字があってもあまり使われない社会における口承文化を指します。これは、人々が物事を語り合い、記憶や経験を声を通じて伝える文化です。対照的に、「文字の文化」は、文字が主な情報伝達手段となり、書かれた記録が大きな役割を果たす社会です。

ソクラテス:興味深いです。声の文化では、コミュニケーションや知識は主に話し言葉によって伝達され、記憶に依存するというのですね。声の文化においてどのように知識が保持され、伝達されるのか。詳しくお聞かせいただけますか?

ウォルター・オング:声の文化では、知識の保持や伝達は主に反復とパフォーマンスに依存します。つまり、物語や詩、歌を何度も繰り返して聞き、それを暗記することで知識を共有しつづけるということです。こうした文化では、情報を効果的に伝えるために、リズムや音韻、反復といった記憶しやすい形式が発達します。そうして集団全体が一緒に物語や歴史を共有し、維持していくのです。

ソクラテス:なるほど、集団全体で記憶を共有することで、知識が失われないようにしているのですね。しかし、文字を使用するようになると情報が固定した形で保存されるため、記憶に頼る必要が減りますね。このことは、人々の思考に何か影響を与えるのでしょうか?

ウォルター・オング:その通りです、ソクラテスさん。文字が登場すると、知識を記憶する必要性が減り、人々は情報を「外部」に保存できるようになります。これにより、個々の記憶力に依存しないで情報にアクセスできるようになるのです。しかし、これには大きな変化が伴います。まず、思考の形式が変わるのです。声の文化では、即座に反応することや対話的な交流が重視されますが、文字の文化では、より分析的で抽象的な思考が可能になります。文字は一度書かれると変わらずにそこに残りますから、繰り返し読み返し、じっくり考察することができる。それによって論理的な構造を重視する思考が発展するのです。

ソクラテス:つまり、文字が思考のスタイル自体を変化させると。声の文化と文字の文化の思考の違いは、具体的にはどのように現れるのでしょうか?

ウォルター・オング:一つの違いは、抽象的な概念を扱う能力の向上です。声の文化では、思考は具体的な場面や出来事に結びつきやすい傾向があります。人々は直接的な体験や、集団の中で共有される具体的な物語や行動に基づいて考えることが多いです。これに対して、文字の文化では、書かれた言葉が物事を「固定」することで、概念をじっくりと検討し、抽象的な枠組みで理解する能力が発展します。例えば、哲学や科学のような体系的な知識は、文字の文化においてより深く発展したのです。

ソクラテス:確かに、文字によって思考がより持続的で、かつ精緻に発展することができるという点は納得できます。ところで、文字の文化が発展することで、何か失われたものはあるのでしょうか? 例えば、声の文化における「いま、ここ」での即時性や、集団的な記憶の共有といった要素が減少したのではないかと感じるのですが。

ウォルター・オング:その点は非常に重要です。文字の文化がもたらす大きな利点がある一方で、確かに声の文化に存在していた即時性や、共同体的なつながりが失われる側面もあります。口承文化では、知識の伝達は必ず人と人との間で行われます。話し手と聞き手の間には直接的な関係があり、感情や雰囲気がその場で共有されます。しかし、文字の文化においては、知識は記録として保存され、誰でもいつでもアクセスできる一方で、個々人が孤立した状態で情報を消費することが多くなります。文章を読むという行為は、必ずしもその場の他者と共有されるものではありません。そのため、感情的なつながりや共同体的な要素は弱まりがちです。また、文字が登場することで、情報や知識は「固定化」されますが、これは同時にその知識が「流動性」を失うことも意味します。口承文化では、話し手によって物語が変化し、各時代や状況に応じて柔軟に対応してきた部分がありましたが、文字によって記録されたものは、より硬直的になります。

ソクラテス:興味深いですね。つまり、声の文化では知識や物語が時代や状況に応じて変化しやすく、柔軟であったのに対し、文字はその知識を一度固定してしまうということですね。文字で固定された知識が時代遅れになったり、現実に即していない状況が生まれることはないのでしょうか?

ウォルター・オング:それは非常に鋭い質問です、ソクラテスさん。確かに、文字による知識の固定化にはそのようなリスクが伴います。文字で記録された情報は、一度固定されると、時代の変化に対して遅れをとることがあります。これは特に宗教や法律などの分野で顕著です。文字で記された教義や規則が、時代の変化に追いつかないまま、そのまま適用され続けることで、新しい状況にそぐわないものになってしまうことがあります。

口承文化では、知識はその時々の状況に応じて更新されていくため、ある意味で「生きた知識」として機能します。しかし、文字の文化では、知識は固定されるため、その更新が難しくなります。とはいえ、文字はそのようなリスクを抱えながらも、記録を積み重ね、議論を深めるための不可欠な手段でもあります。

ソクラテス:つまり、文字の文化には時間の流れとともに知識を蓄積し、深めていく力がある一方で、その知識が時に時代遅れになるリスクもあるということですね。ここで疑問なのですが、声の文化における知識の「流動性」と、文字の文化における「固定性」を両立させるような方法は存在するのでしょうか? 現代の我々は、どのようにしてこれらの利点を両立させるべきでしょうか?

ウォルター・オング:これもまた難しい問題ですね。現代においては、実際に「声」と「文字」を組み合わせた新しいコミュニケーションの形態が登場しています。たとえば、インターネットやソーシャルメディアは、文字による固定された情報を伝達しつつも、リアルタイムでの対話を可能にしています。これにより、文字の文化に固有の固定性と、声の文化の流動性はある程度組み合わせることができるかもしれません。

ソクラテス:なるほど。技術の進歩が、新しい形で「声」と「文字」の融合を促しているのですね。しかし、そのような技術が持つリスクも考慮しなければならないでしょう。例えば、インターネット上の情報は膨大であり、時に真偽が不確かなものも多い。この点についても、今後の課題として議論を深める必要がありそうです。今日は非常に多くのことを学ばせていただきましたが、今後の課題として、声と文字の融合における真偽や倫理の問題についても、引き続き考えていく必要があると感じました。本日はありがとうございました、オングさん。

ウォルター・オング:こちらこそ、ありがとうございました。

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