神山町に滞在したけど投げ出した。
神山町はいろんな多様さがあった。
受け入れの幅のデカさを感じた。
ヒッピーもオフィスワーカーもいるトランス好きやダンサーもいる
夢のようなところ、でも僕の居場所は感じられなかった。
根本的に自分の居場所ってなんだろう、
自分の居場探しばかりしてる
甘えだ。
疲れてないで必死にやろう
けど、南海トラフは怖かった。
シェアメイトのノリは若い頃の自分を見ているようで
こんなことをしに来たわけじゃないっと思った。
働きたくて
一生懸命働きたくて、森の園ならあの時の気持ちを思い出せるかなって思って来たけど
なんか再燃はしなかった。大人たちは自分に意識を向けいている、
心地良くもあったが怖くもあった。人生を生きている人たちだ
本気で生きている人たちに会うと自分が生半可な気持ちでいるのがわかる、
生半可な気持ちでいるっておもったら逃げ出したくなる、
気持ちも意見も大したものじゃないから
相手の意見や身振り、口癖まで同調してしまう。
自分に嘘ついてまでいたくない。
でも神山に行くことを決めたのは
耐えられると思ったから
自分で蒔いた種だから、回収もちゃんとしなきゃいけない。
やったことは綺麗に掃除していかなければまた、信用がなくなる。
信用も失うのも怖くて、でも逃げ出したくて葛藤していた。
出来るフリもしていた。なんでも肯定した。
やっぱり、なんか違うなって心のどこかで思っていた。
初めは新鮮で楽しいけど、最初だけだから
普通に生きて普通に暮らして
普通に現実と向き合って
地に足つけて頑張ります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?