自己紹介 はじめての投稿
はじめまして。
森野惺月と申します。
主に詩やエッセイなどを投稿していきたいと思っています。
(現在ユリイカや現代詩手帖、ココア共和国などにも定期的に応募しています。)
よろしくお願いいたします。
下の文章には、自己紹介や詩を書き始めた理由などが書いてあります。
少しでもご興味あれば覗いてくださると嬉しいです。
X(Twitter)などでも投稿をしていきたいと、びくびくしながら企んでいますので、ぜひ。
プロフィール
森野惺月(もりのしずく)
21歳
専門学校を卒業
強迫性障害とうつ病で現在治療中
なぜ詩を書き始めたのか
ーーー
ある日のこと、強迫性障害の悪化やうつ病などで専門学校に登校できなくなった。
退学するかにも悩み、八方塞がりのなか必死でどうするかを考えていた。
人生には様々な道や形がある。
今ではそう思えるが、その頃は随分と悩み苦しんだ。
いきなり、ぽーんと見知らぬ崖の上のギリギリに立たされたような心地だった。
結果的にはオンラインや課題、先生方や家族のたくさんの支えで無事卒業できた。
しかし、始めの頃などは特に随分と苦労した。
切羽詰まった状態で岐路に立たされた際、徐々に明らかになったのは自分には何もないことだった。
何になりたいかも、わからなかった。
中学の頃からそういう悩みは周りのクラスメイトを含めほとんどの子が持っていたはずだった。
けれど私は、それを俯瞰でみているふりをして「自分事」として考えられていなかった。
これは相当な痛手だった。
いつのまにか、置いていかれている。
冷や汗がにじみ出る。
大学に行っておけばよかったのかなという後悔。
友人は今頃何をしているのだろうという嫉妬や寂しさ。
自分はこの先一体どうしたらいいんだろうという莫大な不安。
色々な考えや感情を整理するのに明け暮れ、うちひしがれていた。
闇にいるとき人はより苦しい感情の方に行ってしまうものなのかもしれない。
よそはよそ、うちはうち、私は私だ。そう言い聞かせても、なかなかマイナスな思考回路は離れてくれない。
大人になったら自然とやりたいことができるものだと思っていた。
おいおい話が違うぞ、と理不尽な怒りを抱えていた。
そんな中、妙に心に残ったのがある日の父との会話だった。
「やりたいことは何?」
父が私にそう尋ねた。
ふざけた話ではなく、そういった話題を父は小さい頃からたまにした。
そのときは恥ずかしさもあって適当にはぐらかしてしまったが、それが後からぐさぐさときて動揺した。
初めてまっすぐにやりたいことを問われたような気がしたのだ。
ーやりたいこと?
あってもどうせできないし現実味なんてないよ
その時、自分から夢を封じ込めていることに気がついた。
私にもやりたいことをやる権利はあるし、やりたいことがあるならやっていいのか。
至極当たり前なことに気づいた。
分かっていたつもりになっていた。
やりたいこと、あるかもしれない。
そう思えた。
そこから真剣に楽観的に、自分のやりたいことになんでも注目するようになった。
そこで行き着いたやりたいことの1つが、作家という夢だった。
ーーー
週に1回ほど行っていたバイトの帰り。
屋上の自転車置き場に愛車を取りに行くと、近くの駅に電車が止まっているのをよく見かけた。
ごうごうと音を立て電車が走っていく。
夜の暗闇に煌々と様々な色で光る電灯や電車の灯りと人影。
それが妙に心落ち着いて好きだった。
暗闇に吸い込まれていく電車をみたときに、あぁこれを文章で表現できたらと思った。
銀河鉄道の夜を彷彿とさせる光景に、宮沢賢治を思い出したのかもしれない。
下手でもいいのだ
難しくてもいいから書いてみよう
不思議なものに背中を押され、そして表現することは自分を静かに肯定してくれた。
そして思い出した。
小学校高学年から中学2年の頃までの私の将来の夢は作家だった。
覚えている。
中学校の国語の授業課題で将来の夢をスピーチしながら、次第に私には無理かもしれないとそれを諦め忘れようとしていたことを。
児童文学への憧れ
詩への憧れ
ー放り出していた夢を、後から大事にしてもいいのだ。
ーーー
最後に
詩を本格的に書き出したのは1年ほど前のことです。
ほぼ手探りの状態で不安でいっぱいですが、
それでも少しやってみたいと思います。
私にできることは表現しかないというのが率直な思いです。
拙い部分もありますが、お時間ある時にでも見ていただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
※強迫性障害
→強い不安や恐怖、こだわりがあることで、“やりすぎ”ともいえる考えや行動を止めることができず、日常生活に支障が出てしまう病気のこと。
ーメディカルノート引用
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