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Uncomfortable Zone

 人間というのは、自分にとって心地よい環境・関係にしがみつくものだ。それは自分の立場も価値観をも揺るぎないものとする。何にも脅かされない状況こそを「comfort zone」と呼ぶ。

 1・2年生の頃はまともに勉強していなかったような高校生が3年の夏にはガリガリと勉強しているのは何故だろうか?遊び続けられるというcomfort zoneからの脱却、すなわちchallengeなのかもしれない。だが一方で、鰯の群れのように受験戦争へ動き出す周囲からの逸脱を避けているのかもしれない。いかなる事象もcomfort zoneかuncomfort  zoneか明確に分けることができない。(受験戦争に関しては、ほとんどの人がcomfort zoneだろうが)

 


 別に私は、challengeすることが必ずしも正しいとは思わない。何もリスクをとらずに安心んした環境に身を置こうとすることは、人間として当たり前のことだし、それが幸福だろう。実際に私は医学部を選択せずハードルの低い歯学部への進学を決めた。その結果無事合格し、comfort zoneでぬくぬくとしている。しかし、これだと何も面白くない。AO IIで受かること自体はchallengeなので、刺激的ではあったが、その後の生活は挑戦とは程遠いものとなっている。

 現状として、私は私を認めてはいない。頭が鈍く、人の気持ちをうまく察せず、積極的にコミュニケーションをとれない自分は受け入れようとするにも、社会で生きていけないので改善せざるをえない。このエゴのためには当然comfort zoneから抜けなければいけないのだが、とても難しい。受験のように本人の意思に関係なく、周りが捲し立ててくれれば自然とchallengeへ向かうのだが、ここにおいてはcomfort zoneに留まるか否かの決断は100%私に委ねられている。結局は社会からの圧力という形で社会に馴染むことがcomfort zoneだと見出しているだけなのだが。

 しかしそう考えてみるとchallengeとは新たなcomfort zoneへの移行なのかもしれない。昔アフリカで生まれた我々の祖先は、安住の地を求め、ヨーロッパ、アジア、アメリカ大陸へ渡った。challengeでありながらcomfort zoneを求めているのだ。逆説的でややこしいが興味深いな。
だが、comfort zoneを求めるということは、現在いるところをuncomfort zoneと意味付けすることになる。つまり理想は現実の否定である。だから苦しくなるのだ。

 総括するとchallengeすることは、comfort zoneからの脱却と誤解されがちだが、実際はuncomfort zoneからの脱却なのだ。誰もcomfort zoneを否定してchallengeなどしていない。uncomfortだからchallengeするのだ。
 今の環境に満足していてcomfort zoneだと思うならchallengeする必要はない。しかし不満であれば、challenge一択であろう。
 

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