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指揮者と伴奏者

「右手でけん玉、左手でヨーヨーをしながら、リフティングを百回する」

 一学期最後の日、夏休みの目標を提出した僕は担任の松本に殴られた。

「『歌の練習を毎日する』と書けと言っただろ! この夏はお前個人の自己満足の為の時間は無いと思えよ」

 たった今の暴行を差し引いても、既に松本は訴えられてもおかしくないパワハラを幾つも強行していた。まず、明日からの夏休みは日曜を除き毎朝、音楽室にクラス全員で集まり練習する。自宅でのボイストレーニングは毎日行う。夏休みの目標は強制的に全員「歌の練習」で統一させポイントを稼ごうとしている。全て松本の独断で決まったことだ。合唱コンクールの優勝というたった一つの目標の為に。

 しかし僕は殴られるほどふざけたつもりは決して無い。心の底からけん玉とヨーヨー、そしてリフティングを上達させたいと思っている。たかが中学の合唱コンクールに情熱を注ぐ余裕なんて無かった。

 ***

「滝口君、一緒に頑張ろうね」

「よ、よろしくお願いします……」

 放課後の音楽室。黒塗りのトムソン椅子に腰かけ右手でドミソ、ドファラ、シレソと和音を一つずつ試しに弾く沢井さんと、すぐ横で直立不動の僕の、初めての会話だった。

「滝口君が指揮でも良い?」

 ピアノの経験があるというだけで指揮者と伴奏者に任命された僕等は二人だけのミーティングをしていた。どちらが指揮・伴奏を担当するかまでは決まっていない。
 指揮者にはパフォーマンス力のみならず、伴奏者との密なコミュニケーション、そして譜面から作曲者の意図を汲み取り、歌唱者へ歌い方を指導することまで求められた。これも音楽のおの字も知らない松本がネットで調べただけの情報で決めた作戦だ。

「僕は伴奏が良いです」

 極度の人見知りの僕に指導など出来るわけがない。幼少期から習い続け今や唯一の取柄であるピアノを弾きたかった。しかし、

「空にひかる星をー 君とかぞえた夜ー」

 カーテンを揺らすそよ風の細やかな音と共に聞こえる沢井さんの弾き語り。課題曲の『大切なもの』をここまで美しい音色で聴いた記憶は無い。ピアノでは彼女に敵わないと悟った瞬間だった。

「……さ、沢井さんが伴奏でお願いします」

「じゃあ滝口君はクラスを引っ張れる指揮者になってね」

 その笑顔は眩しかったが、言葉はプレッシャーとなって重くのしかかった。

 ***

「ストレッチ終わった奴からトラックを3周しろ!」

 翌日の朝8時半。夏休み初日だというのに僕のクラスは全員グラウンドで走らされた。これもボイストレーニングの一環だと言い張る松本。

 その後は休む間もなく音楽室で「あーあーあー」とひたすら発生し続けること30分。ようやく課題曲の練習が始まった。

「えーっと……え、Aメロがユニ、ユニゾンなのでう、歌いやすいかと思うので……ボ、ボリュームを下げるのを意識して……」

 僕はしどろもどろに説明した。前日、深夜2時まで課題曲の譜面を読み込み歌い方をまとめたメモを読んではいるが、25人もの生徒の前で話すのはやはり緊張する。「よく分からない」「ハッキリしゃべろ」と野次が飛ぶ。

「要するにAメロは抑えめに、Bメロの後半から徐々に上げていって、サビで全力で歌えということだな」

 睡眠時間を削った僕の苦労を松本は簡単にまとめてしまう。そんな単純な話ではない。歌詞の意味と作曲者の意図を汲みながら心を込めて歌うことがどれほど難しいものか、脳筋の松本には1ミリも伝わっていなかった。

「まあ皆が滝口君みたいに頭良いわけじゃないから、まずは先生の言うとおりに歌ってみようよ」

 沢井さんまでそう言うなら僕は折れるしかない。合唱は協調性が問われるからどうしても好きになれない。早く家に帰って一人で伸び伸びとけん玉とヨーヨーとリフティングの練習をしたい。

「君が教えてくれたー 大切なものをー」

 初めてにしてはそれなりに形になっていることに僕は驚いた。だがそれは沢井さんのピアノのレベルが高すぎて、肝心の歌声が霞んで粗が気にならなかったというのもある。

「はぁ……」

 アウトローまで弾き終えた沢井さんの漏らす小さな溜息を僕は聞き逃さなかった。

 ***

「もっと声出せ!」「今音程外した奴、正直に手を挙げろ!」「ここはクレッシェンドだからな、忘れるなよ!」「おい小池、ラスサビ歌っていなかったろ!」

 その後も毎日4時間に及ぶ全体練習は続いた。松本の超が付く厳しい指導もあり、想像以上の早さでクラスの歌唱力は上達した。5日目にもなると譜面を見ずに歌える者も出始めた。

 3年の他のクラスは受験勉強、旅行に帰省、遊びにデートと各々の夏休みを過ごしていた。1ヶ月間みっちり合唱コンクールの練習に充てるのは僕等C組だけだ。確実に差を付けられるし、目標の優勝も現実味を帯びてきたと思うのは早計だろうか。

 ***

「練習の前に大事な話があります。松本先生は今日から居ません」

 8月も中旬に差し掛かる頃だった。松本は教育センターへの異動辞令が出され、二度とこの学校に戻って来られなくなった。一学期最終日の僕への暴行を目撃した小池が教育委員会に告発していたのだ。殴ったと言っても昭和なら恒常的に起きていたレベルの弱い力だったのに、時代はそれさえも許してくれなかった。

「よっしゃー! これで地獄から開放されるぞ」

 男子は10人ばかり歓喜していたが、僕は複雑だった。練習のスパルタに加え、真剣に決めた目標さえも否定した松本だが、今は異動を手放しに喜べなかった。

「ちょっと男子、もっと声を出しなさいよ!」

「良いじゃん、もう死ぬ気で練習する必要なくなったし」

「どうせ松本が一人で燃えていただけだし」

「でも上手くなってきていたじゃん!」

「うるせえよ、自主トレサボって彼氏とラウンドワンに居た癖に」

「はぁ? 小池だってどうせ家で練習していないんでしょ!」

「滝口、あんた指揮者でしょ! 歌っていない男子にちゃんと怒りなさいよ」

「松本先生はちゃんと指導していたのに」

「無理言うのは止めようよ、滝口君はコミュ障なんだから」

「ハハハ、それフォローになっていないし」

 不安は的中した。鬼の消えた音楽室、やる気と向上心を失った男子、感情的な言葉を吐く女子、これまでの上達が嘘のように全く交わらなくなったアルトとソプラノ。クラスが崩壊に向かうのに一週間もかからなかった。しかし、僕の口からは何も発せられない。

「ごめん、ちょっとトイレ」

 ピアノから手を離し、音楽室を小走りに退室する少女の瞳からは一滴の雫が頬を伝っていた。

「待って下さい!」

 慌てて僕も追いかけた。この期に及んで笑い声を止めない男子と涙に気付きもしない女子への怒りを抑えながら。

「きゃっ」

「あ、すみません……」

 止めることしか考えていなかった僕は思わず沢井さんの腕を掴み、驚かせてしまった。

「いや、私も逃げちゃってごめん」

「今からカラオケに行きませんか?」

 沢井さんの気持ちに薄々気付いていた僕は迷うことなく提案した。

「……どうして分かったの?」

 ***

 一学期最後の放課後の音楽室。初めて聴いた沢井さんのピアノの音色に圧倒されていた僕は、同時に透き通るような歌声にも惚れていた。
 そして練習では毎日鍵盤を叩くだけの彼女を良く見ていた。伴奏の強弱に合わせたパフォーマンスをすることも指揮者の重要な役目だからである。僕の指揮棒の動きばかりを追いかける歌唱者には沢井さんが時折見せる切ない表情に気付く訳が無かった。

「本当は歌いたかったんですよね」

 3時間もマイクを持ち続けたカラオケの帰り道、僕は沢井さんに聞いた。

「せっかく歌える立場なのに歌わない男子が半分以上も居て、それが許せなくて泣いちゃったの。気付いてくれたのは滝口君だけだよ。ありがとう」

 今の沢井さんはスッキリしたのか、「クラスを引っ張れる指揮者になってね」と僕に託した時以来の満面の笑みを浮かべていた。合唱なんか今でも大嫌いだが、沢井さんを二度と泣かせない、ただそれだけの為にクラスの指揮を全うしようと心に決めた。

 ***

「み、皆さんに……見て、ほ、欲しいものがあります」

 翌日の音楽室。右手にけん玉、左手にヨーヨー、そして足元にサッカーボールを構えた僕は、弱々しくも強い意志を持って言葉を発した。

「滝口君はこの夏休み、毎日密かに練習していたのよ。もちろん合唱の自主練もやりながらね」

 沢井さんがフォローしてくれたが、まだクラスメイトは状況を飲み込めていなかった。

「それでは滝口君の一発芸をどうぞ!」

 初めて人前で披露する時が来た。まずはけん玉。木で出来た赤い球を大皿、中皿、小皿、そしてけん先へと順番に入れ、これをひたすら繰り返す。

「おお」「すげえ」

 既に数名が驚いているが、まだ序の口に過ぎない。今度は右手の動作を止めることなく左手でヨーヨーを上げ下げする。難しい技に挑めなかったのが心残りだが、それでも拍手が沸き起こっていた。

「さあ、この時点でも充分凄いけど、ここから更に大技のリフティング100回が加わるよ!」

 沢井さんのテンションが上がるのは良いとしても、最初に回数を宣言しないで欲しかった。練習では最高でも73回しか達成していなかったからだ。
 それでもここまで来たら止めるわけにはいかない。けん玉とヨーヨーにも意識を向けつつ、沢井さんからのパスを右足で受け取った。

「1、2、3、4……」

「5! 6! 7!」

 沢井さん一人で始めたカウントはすぐに全員で言うようになった。あれだけ崩壊していたクラスが一つになって僕を応援してくれている。確かな喜びを嚙み締めつつ、リフティングの回数を20、30、40と着実に増やしていく。

「72! 73! 74!」

 ついに自己最高記録を上回り、ゴールが見えてきた。


 ***


「制服で良いのに、どうしてタキシードなんか着ちゃっているのよ」

「沢井さんこそ真っ白なドレスのくせに」

 9月10日、学校から一番近い文化センター。合唱コンクールは大ホールを貸し切り、客席が満員の状態で行われた。

「それでは指揮者から一言どうぞ」

 本番直前、25人の3年C組。沢井さんは僕が人見知りなのを知っていながら無茶ぶりをした。

「エー、まずは、僕と沢井さんの我儘な提案を受け入れてくれてありがとうございます。パート割りを変更すると決めたあの日から、より団結して練習できたと思います。まあ男子の大半が面白がって乗っかってくれたお陰なんですけど。今から披露する合唱が、優勝という結果に拘っていた松本……いや、松本先生に向けたメッセージになるんじゃないかと思います」

 僕は人前で普通に話せるようになっていた。クラスの皆の前でならという条件付きで。

「続きまして、3年C組の皆さんです」

 僕等は舞台上に立った。ひな壇の上に整列するクラスメイト、下手のピアノには沢井さん、そして中央の指揮台の上に僕。

(頑張ってね)

(沢井さんも)

 一瞬だけアイコンタクトを交わした僕と沢井さんは、その後同時にお辞儀をした。後ろのクラスメイトも続けて頭を下げる。1200人もの聴衆を前に心臓の鼓動は鳴りやまない。それでも出来ると自分に言い聞かせた。沢井さんが、クラスの皆が、そして松本先生が居るから。


***


「沢井さんのソロパートを入れたい」

 右手でけん玉、左手でヨーヨーをしながらリフティング100回を達成した直後、クラスが一体感に包まれている状態で僕は提案した。

「つまり弾き語りをするってこと?」

「面白そうじゃん」

 反対する者は居なかった。本番までの3週間、僕等は団結して練習を続けた。ランニングも発声練習も、その後の課題曲の練習も、家での自主練さえも、松本先生が居なくても誰一人気を抜くことなく真剣に取り組んだ。

 そして迎えた本番。

「いつか会えたなら ありがとうって言いたい
 遠く離れてる君に がんばる ぼくがいると」

 2番のサビは全て沢井さんが弾きながら独唱した。その間だけ僕は指揮棒を彼女に向けた。一瞬だけ笑顔を見せてくれた。

 あえてこの部分で沢井さんの透き通る歌声を響かせたのは、その歌詞を松本先生に伝えたかったからだ。我が校の生徒に会うことは二度と許されなかったが、それでも一般客として1200人の中にこっそり混ざっていると信じていた。

 誰が批判しようと、3年C組の生徒は皆、松本先生に感謝している。

 ありがとうの5文字、ちゃんと伝わっただろうか。


 ***


「最下位かぁー。でも歌えたからいいや」

 帰り道、中秋の名月を見上げながら沢井さんは言った。ソロパートを取り入れたことでルール上、失格になったが、僕も沢井さんも、クラスの誰一人として後悔していないのは言うまでもない。

「好きになったかもしれません」

「えっ?」

 突拍子もない僕の言葉に驚く沢井さん。

「……合唱が」

 言えるわけないよ。「月が綺麗」ならいくらでも言えるけど、どうせバレるだろうし。

(5226字)


僕が考えたふざけまくりのポンコツ書き出しから、ひとつのエピソードを書いてもらいます。全てを参加者に丸投げする企画です。

みょー様『新企画を考えたぞ』より引用


あとがき

 というわけでみょー様の企画に参加させていただきました。最後までお読みいただきありがとうございました。

 お題を読んでから意外にも15分もしない内に構想の大枠は思いつきました。ただそこからが難産でした。果たしてこの企画の答えはこれで良かったのか不安ではあります(とりあえず途中退場させてしまった松本先生ごめんなさい)。

 ちなみに「練習で歌わない男子、泣いて逃げる伴奏女子」だけは中学時代の実話です(余談だが実話では全員ハモリすらせず主旋律を歌うだけで何故か優勝している)

 編集画面の右上の文字数を見て、こんなに長く書いたのは初めてで自分でも驚きです。これでも短編だと言うなら(諸説あり)私に長編は一生書けません。

 皆様の作品も楽しみに待っています。

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