黒髪セミロング眼鏡っ娘(第一話)
自宅に一番近いコンビニで1リットルパックのジュースを購入し、ついでにSuicaをチャージしてもらう。店を出て、目の前の押しボタン式の横断歩道を渡り、左へ50m程進むとバス停が見えてくる。そこで少し待つとオレンジ色の大型二種の車体が現れ停車。前方の入口から入り、運賃箱の横の黒い部分にSuicaをタッチすると、残額から210円が差し引かれる。運転手の真後ろの座席に腰をかけ、20分ほど身体を揺らされる。終点のバスターミナルで下車し、橋を歩いて渡ると目の前にコンビニがある。今日の勤務地となるT店だ。
「当方君、T店の夜勤が人足りないからヘルプで行ってくれる?」
2012年7月30日。アラフォー店長のその一言で、僕は配属店舗のK店を離れ、T店の夜勤として勤務する事になった。今回で3回目だが、夜勤の作業全般が苦手な僕は乗り気になれなかった。ただ、先日の女子高生スタッフの一件(※詳細は省く)で傷心になっていた僕にとって、いつもと違う職場で違うスタッフと組むのは良い気分転換になるのではと思った。
夜勤は24時から翌6時までだが、僕は23時にはIN打刻をしていた。仕事の遅い僕にとって、それを1時間の早出で補う事はもはやデフォルトになっていた。既にセンター便が納品されており、まずはその品出しを手伝う。23時半には済ませ、ひたすら洗い物と清掃が続く家政婦地獄が幕を開ける。まずは揚げ物を揚げるフライヤーとその周辺器具から。レジの真向かいにシンクがあり、洗い物をしながらもお客様が来たらキッチンペーパーで素早く手を拭いてレジ対応する。
夜勤の面白みは皆無に等しい。眠気を堪えながら様々な器具にシャワーを浴びせ、洗剤を含ませたスポンジで身体を洗ってあげる、まさに“作業”である。
(はあ……今日も長くなるな)
そう思っていた矢先、時計の2本の針が共にてっぺんを向こうとした時だった。
「おはようございまーす」
まさかの女性だった。もう一人の夜勤者が姿を現したのだ。
「あら、夜勤の女の子が来たわね」
推定30代後半の準夜勤の女性スタッフ(喫煙者)がボソっと呟いた。“女の子”だと……? 彼女から見ても“女の子”なら当然若い、かといって法的に夜勤で雇えるのは18歳以上。ということは、
(JDキターーーーー(゜∀゜)ーーーーー!!)
僕は心の中でガッツポーズをした。今から6時間も女子大生と二人きり。テンションが上がってきた。つい最近まで一回りも歳の離れたJKスタッフの事で悩み続けていた僕にとって、少しでも歳の近い女性と仕事が出来るのはとても貴重だった。しかも、黒髪セミロングに眼鏡っ娘ではないか。今夜は“作業”ではなくブギーナイトになりそうだ(?)。
「初めまして、夜勤スタッフの“黒髪セミロング眼鏡っ娘”(仮名)です。今日はわざわざ来ていただきありがとうございます」
丁寧な挨拶に加え、いきなり感謝された。異性にありがとうと言われたのはW(JKスタッフのイニシャル)にプーさんのボールペンをプレゼントした時以来である。JKに感謝されたいが為に、たかが仕事で使うボールペンを恋人にプレゼントするかの如くハンズやロフト、ディズニーやサンリオのオフィシャルショップにまで足を運び、いずれ裏切られるとも知らず必死に探し回っていたあの頃が懐かしい。
「すみません黒セミ眼鏡さん、勝手に洗い物始めちゃいました」
「イヤイヤ、ありがとうございます、とても助かります」
「もう常温便が来ちゃいましたけど、2人で品出しする感じですか?」
「イヤ、いつも私一人でやっていますよ。雑誌とカップ麺とウォークは一人でやります」
待て、ウォークインだと……?
説明しよう。ウォークインとは、冷蔵した状態のままペットボトル飲料やアルコール等を陳列できるガラス扉付きの什器の事で、その裏側に商品補充用の部屋があり、その部屋自体をも空調で冷やしているのだ。24時に納品される常温便にこのウォークインの飲料も何十ケースと含まれており、それらを全て品出しするには数時間単位もの時間を要する。納品量が倍増する夏場に加え、新商品が多数加わる月曜である今日は更に手間暇がかかり、その間ずっと5℃にも満たない補充部屋に居なければならない。
そのような無理ゲーを女の子にやらせて良いのか。僕は迷わず口を開いた。
「ウォークだけでも僕がやりましょうか?」
「イヤ大丈夫ですよ」
「だって寒いですよね? しかもマスク(着けているから風邪ひいているのかなと)」
「大丈夫です(笑)」
結局KSM(黒髪~の略)に押し切られた。彼女の丁寧な態度と僕への気遣い、そして何よりも無理ゲーに果敢に挑む強い心は正に大人であり、これが女子力というヤツなのだろうか(※違います)。
常温便(カップ麺とウォーク飲料)の検品を終えたKSMはカップ麺の品出しに入る。これも地味に面倒な作業である。賞味期限の早いものを先に売る“先入れ先出し”の原則があり、例えばAという商品名のカップ麺を品出しする場合、まず既に売り場にあるAを全てカゴに入れ、新たに納品されたAを奥に置き、カゴのAを手前に戻す。
それを見守りながらも僕は自分の作業を続けなければならない。フライヤーの次は中華まん什器の洗浄をし、新聞の返品作業も終了。早く出勤した事が功を奏し、時間に余裕が出来た。KSMの負担を少しでも減らす為、彼女がやる予定だった雑誌の品出しに取り掛かる。
これは僕にとって中ボス級の難易度を誇る。手順を書けば(1)返品リストにある雑誌を撤去、(2)空いたスペースに納品された雑誌を陳列、ただそれだけなのだが、(1)だけでは納品された大量の雑誌を限られたスペースに全て陳列する事は不可能に等しく、返品リストに無い雑誌もたくさん撤去しなければならない。雑誌の裏表紙に小さく書かれた発売日をチェックし、1週間以上前なら容赦なく撤去。ファッション誌なら数日前でも撤去する事がある。コンビニの雑誌は本屋よりも販売期間が短いと思った事は無いだろうか。そのカラクリはここにあったのだ。どうしても欲しい雑誌は早めに購入しよう。お兄さんとの約束だよっ。
そして厄介な点がもう二つ。(3)品出しする雑誌に付録(ファッション誌のポーチ等)があればそれを一冊一冊に挟み込み、黄色いゴムバンドで縛らなければならない事と、(4)一部の雑誌は立ち読み防止の為に専用ビニール袋でコーティングしなければならない。ただでさえ時間を要する作業なのに、想定外の事態も発生。
「無い……どこに置いていたっけ」
コーティング用のビニール袋が見当たらない。多忙なKSMの手を止め、場所を聞いてしまった。
「本当にすみません。もう二度と邪魔はしませんので」
「イヤ、何でですか?(笑) 全然大丈夫ですよ」
僕は不安になった。表面上は笑顔を見せるKSMも、内心では少し怒っているのではないか。あんなに辞めなさそうだったWの笑顔を見る事が出来なくなったショックがそう思わせる。
しかし、余計な事を考えている暇は無かった。夜勤はまだまだ長い。雑誌のコーティングと品出しを急いで終わらせるも、流石は中ボス、時間が予定を超過してしまった。次はいよいよ洗い物軍団のラスボス、揚げ物を保温するホッターの洗浄である。部品が多く一番厄介な奴だが、遅れた時間を取り戻すべく巻きで作業する。
それを終えると、既に短針は3を向いていた。カップ麺の品出しと保管場所の整理を終えたKSMはいよいよウォークインで極寒との戦いに向かう。それなのに僕はバフで延々と床を磨いているだけ。色々な意味で温度差を感じる。代わってやりたくても出来ない辛さを噛み締めながら、山崎パンの納品・品出しを挟み一時間もかけてひたすらバフを動かす。そして、
「えっ、こんなにあるんですか?」
4時10分、容積50リットルのオリコン5ケース分にも及ぶアイスと冷凍食品が納品された。ウォークインでの格闘を終えた勇敢なヒロインも合流し、これまで別行動だった僕とKSMが初めての共同作業に取り掛かる。
「当方さんは揚げ物の冷凍をバックの冷凍庫に入れて下さい」
女の子に指示されるだけでも情けなく感じる。だが仕方ない。僕は3回目のヘルプ出勤に過ぎず、彼女は正式な配属スタッフ。指揮棒を握るに相応しい者がどちらかは考えるまでも無い。納品されたコロッケやチキン達を急いで冷凍庫に投入した僕は急いでアイス売り場の彼女の元へ。
「すみません、お待たせしました」
「あ、イエイエ。冷凍庫に在庫保管する余裕ありました?」
「イヤ、そんなに無いですね」
「マジか……ああもうこれ多すぎ! 入らない! この店ホントに取りすぎなんですよいつも」
「誰が発注しているんですか?」
「Hさんです。あの6時に来る女性の」
「あ、これラムネバーですよね?」
「それもう入らないです。冷凍庫に無理矢理入れるしか」
「新商品のコーラバーと同じフェイスにしたらどうですか? コーラバー全部入れても下が空いています」
「ああ、そっか。コーラバー1箱だけですからね」
「あ、でも(発注倍数が)2倍ってオチじゃないですよね?」
「イヤ、1箱だけだったと思います」
「あ、2倍でした。下にもう1箱ありました」
「ああもういいです、ほっときましょう(笑)」
アイス売場のわずか2m圏内に女の子と二人きりで会話を交えながらの共同作業。ブギーナイトはクライマックスを迎え、エクスタシーはレベル99を突破した。
一方で、僕とKSMの手際の良さの違いも明確になった。
「あ、新聞が来たので品出しと、あとレジ点検もお願いします」
その一言で確信した。アイスの品出しは勤務能力の高いKSM一人で充分であり、僕が手伝う意味はそれほど無かったのだ。ブギーナイトは終わり、色々な意味で朝が来た。再び単独行動になった僕は朝刊をラックに並べ、エンゲルに小銭を積もうとしたが、
「レジ点検の前に中華まん入れて貰えますか?」
「あ、そっか。すみません気付きませんでした」
「イヤ、こっちも指示出していなくてすみません」
「何だかすみません、全然役に立ってなくてばかりで」
「イヤ、別にいつもこの店にいるわけじゃないんだから仕方ないですよ(笑)」
女の子にフォローされても悲しくなるだけだった。自店で怒られても基本(何だよ上司ウゼエ)と思うだけなのに、今は怒られなくても自ら自分を責めている。結局僕は新米社員のペーペーに過ぎない現実に改めて気付かされた。
「え、もう(学校を)卒業されているんですか?」
最後の最後に、KSMは大学生ではない事が判明した。
「この店の立ち上げの時から居ますから、もう6年やっています」
18歳から勤務可能な夜勤を6年間。つまりKSMは最低でも24歳。四半世紀プラス1年生きてきた僕とほとんど変わらないではないか。それなのに、職を転々としている僕とは違い、アルバイトとはいえ同じ仕事を、小学校に入学してから卒業するまでと同じ期間も続けてきたのだ。彼女が乗り越えてきたものは僕の想像の範疇を超えているだろう。
「6年間“居るだけ”ですよ(笑)。まだ宅急便とか良く解らないんですよ。夜って宅急便あまり来ないじゃないですか。だから当方さんが一緒だと、宅急便が出来る人が居るってだけで心強いです」
そして朝6時、2人の朝勤スタッフがシフトイン。彼等への引き継ぎを行い、T店での夜勤は終了。しかし、僕の仕事はまだ終わらない。発注業務がある為、眠気を抑えつつも自店のK店に移動しなければならないのだ。
何だか落ち着かない。相鉄線の車内で、僕の心は身体と共に揺れていた。
「今日は本当に助かりました。ありがとうございます!」
それは、人から感謝される事に慣れていないからだった。
(つづく)