嫉妬について考えてみた
早速だが、この大谷翔平選手のホームラン動画を見てどう思うだろうか。
多くの人々がただ凄いという感想ではないだろうか。
ショート動画に出ているのは同僚のムーキー・ベッツ選手。
彼自身もMVPに輝いたことのある選手だ。
その彼が、インタビューアーの質問「オオタニが出てきたことは屈辱的か」という問いにYESと返答している。
こういう感情を抱くのはベッツ選手の他にワールドシリーズMVPフレディ・フリーマン選手、かつての同僚マイク・トラウト選手、今季アメリカンリーグ本塁打王アーロン・ジャッジ選手くらいだろう。
何が言いたいのかというと、大谷選手と同じ位の実力を持つ人が
大谷選手に嫉妬しているということだ。
これは自分でも出来るけど先にやってしまった人間がいると
言ってもいいかも知れない。
自分事に置き換えてもそれは言えている。
誰かに嫉妬した・しているということは
自分にもできるということなのだ。
ただ先にやってしまったので癪に障るということだ。
でも最近それだけでは足りないとも思い始めている。
その達成した人を祝福するーーそのことが欠けている。
それがないとやり遂げた人への敬愛がないのと同じだと。
仏教では嫉妬は三悪の一つである貪瞋痴(とんじんち)の瞋としている。
心の毒素もないに越したことがない。
健やかで穏やかな心を持つようにしたい。
因みに敬愛する立川談志師匠は嫉妬についてこのように語っている。
シチュエーションは弟弟子・志らくをの談志師匠が何かにつけてほめ、著者である談春が腐っていたときのことである。
流石、談志師匠!
参考
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