【日々】期間限定の愛情
ウバといいます。
訪ねていただきありがとうございます。
娘さんとのデートが決まった。
佐賀県、武雄市にある室内遊技場へのデート。どうしてもパパと行きたいと娘さんは言う。まったく、パパ冥利に尽きるとはこのことか。
必要とされるとすぐに調子に乗る私に、嫁さんは「どうせ今だけよ」と言う。妙に説得力があるのは、経験者だからだろうか。
たしかに嫁さんの言うこともわかる。パパー、パパーと甘えてもらえるのは、子供が小さいうちだけなのだ。成長するにつれ、父親という存在は必要とされなくなる。つまりは期間限定の愛だともいえるだろう。その、あまりにも短い期間でどれほど愛情を注げるか、注いでもらえるかが大事だと思っている。
全力でデートを楽しむのはもちろん、日常でも全力で愛情を注いでいる。私の愛情に期間はなく、我が命が尽きるまで絶え間なく注ぐものなのだから。
しかしだ。
我が娘さん。その、愛情を私に注ぐ期間があまりにも短い。中学生までとか高校生までとか、そんな生易しいものではない。デート前日から当日の夕方までしかないのだ。
夜には甘える対象が嫁さんに変わり「パパはあっち行って」と言われる。あまりにも切ない。とても切ない。切なすぎてデートに行きたくない。行けば愛情をもらえる期間が終わるのだから。
デートに行って、美味しいご飯を食べて、おもちゃを買ってもらったら終わり。その日の夜に「パパはあっち行って」と言われるあの瞬間、全国のパパが泣く。
出汁を取れるだけ取られ、そのあとは捨てられる昆布みたいだな、なんていつも思う。いりこでもいいのだけど。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
全国のパパは、我が子のためなら何でもする。
それでは、佐世保の隅っこからウバでした