深夜の散歩と大人の特権
先日の土日のうち、土曜をほとんど寝て過ごしてしまった。昼過ぎに起きて、チャーハンのパチモノみたいな飯を作り食って、再び夜まで寝るという、怠惰の極地である。それくらいは良くあること、とするのが残念なところでもあるのだが、それを反省して昨日の日曜は少しばかり有意義に過ごすよう努め、実際に有意義に過ごせたと思う。と言ってもバイクに乗っただけなのだが、それについてはまた後日。
ただ、今日SNSをみていて、月刊更新の『ドカ食いダイスキもちづきさん』の最新話がアップされていたのだが、「土曜を怠惰に過ごした結果、日曜を有意義なものにしようと足掻く」という流れがまんま私の行動そのもので、何というか悲しくなった。ドカ食いこそしない、どころか日頃平気で一食二食は抜いて活動しているので逆の意味で心配されることの多い私であるが、だからといってあの望月さんと行動理念が同じと言われるとショックである。それとも、望月さんの「土曜怠惰な分、日曜有意義に過ごす」という行動理念が世間一般にありふれているのだろうか。私だけが望月さんと同じ、という訳ではないと信じたい。
先の通り、土曜は一日中怠惰だった訳だが、だからといってそのままそれでよしとしていた訳ではない。時間こそ夜になってしまっていたものの、であればと夜間の散歩に繰り出してみたのである。当初は飯を作るのも面倒だからと、外食をしようと思って家を出たのだが、残念ながら23時ともなるとやっている店の方が少ない。どこかに無いものかと駅周りをウロウロすることになった。
せっかくだからと、普段は着けているイヤホンをせずに、周囲の音を聞きながら歩いいたのだが、夜だというのに存外人がいるし、色々な話をしている。キャバクラのキャッチに引っかかっている人もいれば、酒を飲んでテンションのあがった若者もいたし、こんな時間だというのに路上でギターを鳴らしている人もいた。近所迷惑にならないのだろうか。
昼間にはみないような、恐ろしく改造を施されて車高がめちゃくちゃ低い車とか、都会でしかみないような奇抜な格好をした人だとか、そうそう見ないようなものが至る所にあり、これはこれで新鮮だった。私の家は昔から厳格で、夜間に出歩くことなどとても許されるようなところではなかったし、一人暮らしを始めてからも、その時の感覚が染み付いてしまって、夜に家を出ようとしなかったので、夜遅くに帰るのではなく、夜出歩くことを目的として外を歩くのは今までにないことである。そういった意味では、珍しいものを見れたと言えるだろう。
とはいえ、当初の目的である晩飯を食べれるところはないかと探した結果、少し歩いたところにあるラーメン屋にした。時刻は23時を回っていているというのに、まだ開店していることに加え、行列までできているのだから、ラーメンというのはすごいものである。その最後尾に並んで待っていたのだが、私が並んだ後にも人は来るし、何なら店に入って席についた後にもまだ人が来ていたそうで、何時でもラーメンには需要があるということなのだろう。
しかし、深夜に食べるラーメンというのはどうしてこう普段よりも美味く感じるものなのか。かつては屋台ラーメンというものがあって、夜中に子供を寝かせた父母が食べに外へ出るなどということもあったという。昭和のことであるし、そういった屋台のどんぶりなどの衛生面はまあまあよろしくなかったなんていう夢のない話を聞いたりもするが、ともあれ深夜の夜食というのはどうにもそそられるもので、それがラーメンともなれば大いに惹かれてしまうというのは、そういった話が流布しているからだろう。
いうまでもないが、ラーメンは健康的かといえばそんなことはなくて、それを深夜に食べるともなれば相当にリスキーな行いであることは言うまでもない。子供がやろうとすればまず間違いなくお説教をされるものであり、そうでなくてもいい顔をされないだろう。しかし、それを無視して行えてしまうというのが大人の特権であり、悪いところなのだ。こうやって深夜にこっそりラーメンを食べるというのも、実家に住んでいればできる訳もないことである。こうやって深夜ラーメン屋に行けるというのも、大人だからこそと言えるだろう。
もちろん、節度は守らねばならない。それこそ望月さんはラーメンとパスタは似たようなものというゆで理論ばりのとんでも理論を掲げてラーメンを貪っていたが、そんなことを日常的にしていれば昇天待ったなしである。特に私は日頃両親と連絡をとっていないので、人知れず昇天すればいつ見つかるかわかったものではない。
しかし、たまには、である。時折こういったことをするのも、決して悪いことではないだろう。だって深夜に店が開いているし、そこに行列ができるくらいには誰もがその背徳の味に魅了されている訳だし。「あるのがいけない」ならぬ「開いてるのがいけない」ということで、ひとつ。