甲子園の土
高校野球が始まると、いつも思い出すお話がある。
阿久悠「ガラスの小びん」。
「私」の父は、甲子園に出場したことがあるのが、なによりの自慢だ。
記念に持ち帰った甲子園の土を、小びんに入れて大切にしている。
来客があると、披露する。
「これは、なんの土だと思いますか」
父がそう言い出すたびに、「私」は恥ずかしくてたまらない。
あるとき、「私」は、衝動的に、庭にあの土を捨ててしまう。
叱責を覚悟して父に言うと、父は意外な反応をみせる。
あの「父」に近い年齢にさしかかった今、このお話を思い返すと、若さって残酷だな、と思う。
あんな鮮やかに土を捨てることは、中年になったら、とてもできそうにない。
あの瞬発力が、若さというものだろうか。
私には、「父」のような過去の栄光はないけれど、誰にも人生のハイライトといえる場面があり、それは年を重ねるにつれてどんどん美化されて、化物のように成長していくものなのかもしれない。
息子に土を捨てられて、「父」はどんなに、ほっとしたことだろう。
夏という季節には、どこか、かなしみが漂っている。
そんな季節に、テレビから甲子園の音楽が流れると、私はいつも、あのお話のことを思い出す。