銀杏が、好きになる
職場の近くのトチノキが、最近まで実をたくさんつけていたけれど、いつの間にか刈り取られていた。
大量に落ちてくると大変だし、ぎんなんと違って拾いに来る人もないだろうから、仕方ないのだけれど、ちょっとさみしい。
それで、ぎんなん拾いのことを思い出した。
大学生のころ、秋になると、キャンパスの流しに貼り紙がされる。
「ここでぎんなんを洗わないで」
その貼り紙を見ると、ああ、今年も秋が来たなあと思う。
私の通っていた大学は山の上にあって、キャンパスにはいちょうの木がたくさんあった。秋になると、たくさんのぎんなんが落ちる。そうして、近所の人たちが拾いに来る。
それが秋の風物詩だった。
こどもの頃も、学生のころも、あまりぎんなんを美味しいと思ったことがなかったから、わざわざ拾いに来るのが謎だと思っていたけれど、年をとってから、ぎんなんがとても好きになった。
あの、むにっとした食感や、かすかな苦みとか、調理後もほのかに残る独特のにおいとか、そんな苦手要素が全て反転して、大好き要素になる。
年をとるって、不思議だな。
今、嫌で仕方がないことも、いつか好きになるのかもしれない。
だから、明日も生きていこう。
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