私のレモン

高校生のころ、茨木のり子の詩が好きだった。
「倚りかからず」という詩が好きで、こんな生き方がしたい!と憧れた。

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
(中略)
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

茨木のり子「倚りかからず」

でも、働くようになって、心身ともに疲弊してからは、石垣りんの詩がしみるようになった。

(略)
あしたは背骨を手術される
そのとき私はやさしく、病気に向かっていう
死んでもいいのよ

ねむれない夜の苦しみも
このさき生きてゆくそれにくらべたら
どうして大きいと言えよう
ああ疲れた
ほんとうに疲れた
(略)

石垣りん「その夜」
(私の前にある鍋とお釜と燃える火と)

働く女の孤独が、ひしひしと感じられる。
本当に、人生は苦しい。

でも、孤独の中にも、光がある。

きのう買っておいた
サンキストレモンの一個がみつからない
どうやらねずみがひいて行ったらしい。
(中略)
強い雨が降れば
したたかにもる屋根の下で
ながいこと親しむことを知らない
いじらしい同居人が
美しいものを盗んで行った。

(おお、私も身にあまるものを抱え込んでみたい)
(略)

石垣りん「レモンとねずみ」

私にとってのレモンは、なんだろう。

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