疲れてしまった

疲れてしまった。あぁ、疲れてしまった。

時々スイッチが切れたように、身体から何かが抜け落ちていくことがある。
身体を駆動させていた燃料が全部蒸発してしまったかのように。

そうして気づくんだ。これは動けない、と。

やるべきことから逃げなくてはならない。
ー潰れてしまう。
やりたいことが湧き出るまで休まなければならない。
ー壊れてしまう。
心を安らかにしなければならない。
ー死んでしまう。


懐古は嫌いだ。
自分が成長していないように思えてしまう。あるいは、成長していないのかもしれないが、それを自覚したくない。過去に囚われ、安住し、そこからの成長を求めない。嫌いなあり方だ。
精神的に向上心のない者はバカなのだ。
これを内面化してしまった。

だが、ただ懐古するのではなく、過去の心性を取り戻せたら、と思うことはないでもない。
小さい歩幅、低い目線で、広い道路や公園を闊歩し、雑草に興味を持ち、柔らかな日差しを浴び、何の意味もなしに走り出してみる。そんな心性ならば、今よりも幾分か楽になれるのではなかろうか。
ただの妄想だ。そんなうまくいくはずはない。うまくいってほしいわけでもない。

苦しみ続けなければ、自分のあり方を許せない。幸せなやつを憎み続けなければ、自分を維持できない。
自分が幸せになろうものなら、それは自分じゃない。大事なものを失い、有象無象と同一化し、何をするにも上から目線で、他者への共感を欠くに至った、度し難い化け物だ。


今でも十分化け物ではある。

優越感に満足を覚え、劣等感に苦しむ。
自らの無能さを理解しながら、それを治すこともできず、身動きがとれない。性質は変えようがない。凝り固まった心性はほぐせない。

苦しまないためには、劣等感を抱かなくなるまで努力し続けるしかない。苦しまないためには、その苦しみよりも多くの苦しみを経なければならない。しかも、それだけ苦しんで結果が出るかどうかは分からない。

リスクにリターンが見合ってない気もする。ただ、今苦しまなければ、劣等感の領域が広がり、後に苦しむことが多くなる。

しかし、伸び代はどんどんなくなり、後の努力の苦しみはかなり大きいものになる。
放置しても苦しくなり、進んでも苦しくなる。

一切皆苦。諸行無常。

出家に至る決断ができれば今よりも楽な生き方ができただろうか。負けず嫌いが歪に成長するとこうなる。
臆病な自尊心と尊大な羞恥心を抱く虎は自分そのものだ。虎になれたらどれだけ楽だろうか。虎になることは解放だ。もう苦しまなくてよいのだから。

苦しんで苦しんで、苦しみ続けているのに、何のために苦しんでいるのかは分からない。
この苦しみの先の価値がそんなに大きいものだとは思っていない。ここで歩みを止めたらさらに苦しくなるから歩いているだけだ。

少し、疲れてしまった。疲れてしまった。
しばらくは立ち止まってもいいだろう。じゃないと足がもげてしまう。腐ってしまう。

暖かく柔らかなゆりかごの中で、しばしの安寧を願っても、誰も咎めまい。

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