かいわれ大根
たまには、思ってもないことを書いてみよう。何も考えずに書いてみよう。そうすると、何かが出てくるかもしれない。
人生はかいわれ大根だ。あのスーパーで見るやつだ。育てている人もいるかもしれないが。
あの一回可食部を食べても、根を水につけて放置してれば生えてくるやつだ。
ニョキニョキ生えてくる。まるで人生のようだろう。折角育った部分が刈り取られても、新たに育っていくしかないのだ。さらにいえば、根だけは変えられない。そこだけはどうしようもない。生まれ持った身体、環境でやっていくしかないのだ。
しかも、かいわれ大根は辛い。刈り取られても、反骨精神は残るのだ。発展途上でくじかれても、その精神の残滓が刈り取られた部分には残っている。
ひたすらに伸びるしかない事態を受け入れながら、必死に先へ進んでいくのだ。その中で自らの味を醸成していくのだ。
人生そのものだろう。そうにしか見えない。
そんなわけがない。いや、こじつけるとそう見えなくもないが、そんなわけはない。
かいわれ大根を人生に見立てる精神状態はおそらくよろしくないので、かいわれ大根でも食べて栄養をつけて十分な時間寝るべきだ。
どれだけこじつけても、切っても生えてくることと、味、栄養くらいしか、こじつける要素がない。単に自分のアイデアが少ないだけかもしれないが。
さすがに色々無理がある。