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池袋シネマサンシャインでオッペンハイマー見てきたニョ

 今回、池袋シネマサンシャインのIMAXで、オッペンハイマーを見てきたので、良かった所や、感想について話していきたいと思います。


IMAXシアターの体験について。

 映画本編の内容の前に、ノーラン監督のIMAX体験の凄まじさについて。
 ほぼ正方形の超巨大スクリーンをフルに使った映像や、音響の迫力、高いコントラストに驚かされました。
 これらの設備について、単に技術的に魅力を感じているわけではありません。映画体験に重要な"没入感を引き上げる"ためだけにあるようなもので、人間の視野角の端から端まであるスクリーンはこれまで体験したことのないようなものでした。人間の視野角は3:2と近いと知られていて、左右に長いシネスコサイズよりも没入感が高いのは納得です。
解像感と、コントラスト比が高いことも、IMAXの特徴ですが、どちらも体感できるほど高精度なものになっていました。黒の締まり方については、有機ELパネルのようで、輝度の高い演出は、滲みもなく、とてもきれいに表現されていました。

ストーリー以外で衝撃を受けたこと

オッペンハイマーは、全編IMAX70mmで撮影し、CGを使わないことにこだわりをもって作られたそうです。つまり、できるだけアナログな方法で、ハリウッド大作映画を作ったということです。これはありえないことで、ほとんどの実写映画は、高級なVFXをふんだんに使い、豪華さを演出することが当たり前になりつつあります。
 しかし、化調非使用のラーメンのように、物足りない演出になることはなく、セットや照明、編集効果や演技によって、とても贅沢な絵作りになっていました。
去年、アカデミー賞の長編アニメーション部門で、手書きアニメーションである「君たちはどう生きるか」が大賞に選ばれたことが話題になりました。若者の間で、あえて昔のデジカメで写真をとることがブームになったりと、トレンドは技術の進歩とは真逆をいっているのかもしれません。
 また、オッペンハイマー博士の夢や、空想シーンに出てくる、電子が原子核の周りを高速で回転するイメージや、たくさんの粒子が高速で移動する、とても美しいカットは本当にすばらしいものですが、サブスクでは圧縮されるので再現できないでしょう。
 演出も素晴らしいもので、アクションシーンはなく3時間もあるのに、アニメのオーバーすぎる声優さんの演技や、映画一本を通して殆どを戦闘シーンに費やしているようなアクション映画に慣れすぎて、退屈なものには耐えられない現代人にも、全く飽きさせない演出に驚きました。

「映像研には手を出すな!」に似ている


映像研には手を出すな!

ストーリーを構造で捉えると、映像研との類似が多いと思いました。
映像研について知らない人のために、内容を公式サイトから引用。

公式サイトから引用


まずロスアラモスの立ち上げについて。動機は全く違いますが、かなり意欲的に計画を指示していたオッペンハイマー。マンハッタン計画のリーダーを任されていた当時、科学界がとても大きな進歩をしており、オッペンハイマー自身も、自信ややる気に満ち溢れていました。政治力で多くの科学者を集めるなど、大学の講義や研究以外のことに熱心になっていたように思います。映像研もまた、浅草氏というリーダーのもと、アニメ制作を行う部活を立ち上げました。

目標達成のための犠牲

国家規模で進む極秘プロジェクトという、あまりに重いものを背負わされた博士。プレッシャーはもちろん、厳しくなる監視の目や、変化し続ける国際情勢。研究者同士での意見の食い違い、過去の妙な人間関係など、たくさんのものに振り回されます。これは、研究者であり、プロジェクトリーダーでもあるという2つの対立する役割が与えられたことによる困難を表現していました。映像研もまた、アニメ制作の困難さだけではなく、部活動を運営する上での学校や生徒会との戦いという構造が取られていました。
閃光のハサウェイでケネス・スレッグは、人には絶えず生きるための義務がある。(省略)と言っていて、これらに共通するメッセージは、誰も、本当にやりたいことだけやるということは出来ないというものです。量子力学の研究も、アニメ制作も、みんな(BIG主語)がほしいと思っている金や自由な時間を謳歌する権利も、成し遂げるためには関心がないことをしたり、犠牲を払ったりしないといけないということでしょう。

「人は単純なもの。」なのか?

オッペンハイマー博士は、人は単純だといいました。戦前に生きて、身分制社会の名残を感じさせるようなシーンが目立った本作では、今ほど、個体限定の問題について話すということはなく、特に政府中枢で働いている人間や、共産主義者たちは、個人レベルで全体主義!(矛盾)のいびつな人間が多かったと思います。これは、戦後に行われた聴聞会や公聴会の価値観とは全く噛み合わないものになっていて、戦時中には周りの人間に感づかれないようにしていた複雑な内心を、詳細に聞かれるシーンに戸惑いもがく様子に、とても心を動かされました。また、博士が当時取っていた行動についてのレポートについて読み上げられる様子も印象的でした。
 自分自身理系で、物事というのは原因と結果だけで成り立っていると考え、物事を単純化(モデル化)して考えるのが得意です。複雑な詳細について、物事の重要度の大小を考えずに、内面におこったあらゆる事象について説明するような人間は嫌いで、ある出来事をコンパクトに人に伝えることが苦手な人がやりがちなことだと思っていました。しかし、今回の映画では、間違った単純化と、他人から推測される心象について、いかに事実と乖離があるかについて思い知りました。

戦時中の特権階級と現代の一般人の類似

この映画が商業的に成功した理由はたくさんあると思いますが、その中の一つに、我々現代人との類似があると思いました。映画で出てくる主要人物の感覚が、僕たちととても近いと感じたのです。80年前と今では、周りを取り巻く環境や価値観が大きく違っていて、それが非日常な印象を視聴者に与える、ファンタジーと同じ楽しさが戦争映画にはあると思っています。しかし本作も戦争映画というジャンルであるけれども、前述のような醍醐味とは真逆でした。インテリがほとんどを占め、感情を一切排除したような建前においてすべてが進んでいくマンハッタン計画を見て、多くの被害者を出したこの計画は、気の迷いや情報不足や少数の人間による誤った判断などではなく、何年もかけて入念に準備され、様々な立場やバックグラウンドを持った多くの人が関わって進められたということがわかりました。大量破壊兵器を以て世界平和を実現するというアメリカの理論も、今現在では普遍的である核抑止論と非常に近いものであるので、非常に先進的だし、現代の価値観ともほぼ同じです。他にも、敵国に対する差別意識のなさや、ダイバーシティを意識したロスアラモスの設計には、日本人からは色眼鏡で見ることしか出来ない当時のアメリカの内部のことについて共感しました。多くの人がこれに腹立たしく思うのは当たり前で、日本人を多く殺した悪は、信じられないくらい冷酷で残虐な人の心を持っていない連中だと信じたいからです。そうでなければ広島長崎の惨状が、正しいことであるかのように見えてしまいます。


ラスト

最終的な結末についてはぜひ自分の目で確認してほしいので、詳細は書きません。ぜひ映画館で御覧ください。


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