無脳症
この病名を知っている人が
どれだけいるんだろう
赤ちゃんは
できさえすれば
普通に産んで
育てられると思っていた
10代。
それは間違いだったと知った
私は28歳で、
無脳症の長男を出産しました。
その時のお話を
当時の日記を
ここで
お伝えできたらと思います。
死を本当に身近に感じて
命の大切さを教えてくれた息子
愛する
「翼」に
感謝をこめて
ここに想いを綴らせていただきます。
長くなってしまうことを
どうかお許しください。
【四ヶ月間の母親記】
2015年11月、
念願にも妊娠していることが分かりました。
10wめの検診で、
先生「順調ですね、頭と手と足がはっきりしてきました。
あっ、今動きましたね!!!」
私「良かった、、、
大分つわりも治まってきました。
先生、安定期はいつからですか?」
先生「もう胎盤もほぼできあがっているし、安定期と言って良いでしょう。何もなければ次は4w後に来てくださいね。」
それからの4週間はただただ幸せ。
辛いつわりも終わり、
徐々に見たことない大きさになってくる自分のお腹。
たまに感じる胎動。
喜びが増す。
「次の検診が終わったら、周りの友人にも報告しようか」
そう夫と話していました。
14wめの検診では初めての経腹法のエコーで、
あまりのくすぐったさに笑いを堪えきれない。
よく動く赤ちゃん。
骨までよく見える。
「可愛い、、」
夫と二人で目を合わせる。
だけど
先生の一言で全てが凍りついた。
「えっと、、すみません、、
ちょっと異常なところが見つかりまして、、
お二人にお話ししないといけないですね。」
頭が真っ白になる
「残念ながら
お二人のお子さんは」
「無脳症という重病になっています。」
、、、無?
ピストルで撃たれたみたいに固まる私の脳。
思考回路が絶たれる。
え、、
だって、、
エコーでちゃんと頭も映っているじゃない、
ちゃんと動いているじゃない、、
「体は元気で異常はないのですが、
頭のてっぺんの頭蓋骨や皮膚だけできていないんです。
正式には無頭蓋症といいます。
遺伝でもなく、
繰り返したりする病気でもないんですがね、、
だれにでも起き得る先天性の病気です。
1000人に1人くらい、、、
本当にごくごく稀に原因不明でなってしまう、重度の奇形です。
この位の大きさにならないと分からないんですよね、、
母体の中では生きられるんですが、
残念ながら外の世界では生きられる可能性はありません。
大きくなればなるほど、母体の生命の危険に伴います。
だから、このまま妊娠を続けることは難しいでしょう。
できることは、早めにお母さんのお腹から出してあげること、、
赤ちゃんは小さいし痛みを感じたりはしないのでね、、
えっと、、12wを越えているから、処置ではなく、普通に産むのと同じ方法で、、4日間ほど入院してもらって、死産というかたちで、、、」
言葉が理解できない
なんで、どうして
守れなかった
守れなかった
守れなかった
「ごめんね、、、、、、、」
悔しさと悲しみで
家に帰って夫と涙が枯れるまで泣いた
たぶんこれは
一生分の涙。
助かる方法はないのか
ネットで検索しまくった
だけど、そこにあったのは
全て絶望的な言葉ばかり。
・医師が中絶を余儀なく勧める唯一の病気
・他国では中絶を合法としているところも少なくない
・母体の中でも75%が亡くなってしまう
・産後一年間生きられることは奇跡に近い
・出産は母親の身体にリスクしかない、、
それからは
何を食べても味のしない
何もする気も起きない
悲しみの日々。
念の為、先生の紹介で
大学病院でも確認してもらえることになった。
エコーでは、
頭が下になってなかなか確認がとれない。
必死に隠れている様に、手足をバタつかせている。
その姿を見ながら、診察ベッドの上でまた涙腺が壊れた様に涙が出た。
どうか、神様何かの間違いであってほしい
1%の希望に全精神を捧ぐ
30分以上経っただろうか、
二人の先生か代わる代わる見てくれて
「残念ながら」
「間違いないでしょう」と。
入院までの一週間。
夫がほとんど有休をとってくれた。
二人で名前を「翼」と決めた。
うちらのように旅好きで、
どこか遠くへ遊びに行ってもふらっと魂は近くにいつでも戻ってこられますように。
泣き続ける私に夫は
「うちらに似てちょっとだけ頭が良すぎたんだよ、翼は脳みその発達に骨がついていけなかったんだね」
「AIはずっと沢山笑ってたから、
翼は居心地が良かったから、一緒に居たいって思って
ずっと病気のこと隠してたんじゃないかな」
って涙を堪えて励まし続けてくれた。
四時間診察待ちの産婦人科を二回も一緒に乗り越えて居てくれた夫。
この人が夫で居てくれて
心から良かったと思えた。
たぶん、私はそうじゃなかったら間違いなく翼と一緒に天国へ行く道を選んだと思う。
子を失う辛さは
たぶん何にも代えられない。
知らぬ間にこんなにも強くなっていた自分の親心にも驚いた。
神様がくれたこの一週間。
全ての愛を翼に。
私にできることは、最後まで翼を苦しめないで命をお空に返すこと。
景色の良い土手に行ったり、銀座でスイーツを食べたり、
お腹を撫でながら
翼にずっと話しかけた。
辛かったけど、
三人で過ごしたこの一週間は
命の尊さを知った
今までの人生で一番
大切な時間だったと思う。
入院しての4日間は、
気絶しそうな程の痛みとの戦い。
悶絶するような痛みで殆ど眠れなかった。
「だけど、翼はもっと頑張ってるから、、」
それだけが意識を保てる理由。
入院三日目、
無理矢理の陣痛促進剤によって
翼は産まれた。
13.5センチ50グラムの小さな赤ちゃん。
「よく頑張ったね、、」
こんなにも小さいのに、頭の先以外は
顔も姿も本当にちゃんとしっかり
頼もしく成長していた
すらっとした手足、その先の五本の指先までちゃんと揃ってできていて。
鼻はパパ似、口はママ似、
目と耳はどっちかな、、
肩幅は二人に似てがっしりした(笑)
可愛い可愛い男の子。
透き通る肌に触れた瞬間、
最後はただ暖かい気持ちになれた。
「沢山の幸せをありがとう
翼のことは一生忘れないないからね」
15w6d
2016/2/17 10:58 翼 誕生&命日
お骨は家に届けてもらえました。
毎日お祈りしようと思います。
もうお腹をさすっても 話しかけても
あの幸せなポコポコした胎動は感じられないけれど
魂はずっとずっとそばに居てくれることを信じて。
また、笑顔で居たら翼はきっと見守っていてくれる。
時間が
辛い思いよりも、
幸せな思いにさせてくれる。
出逢えたことに感謝して。
だんだんしっかり受け止められるようになったのは
それはきっと
周りの暖かい皆に支えてもらえたから。
お線香をくれたり、一緒に泣いてくれたり、励ましてくれた人が本当にたくさん居てくれたこと
本当に感謝しています。
翼が来てくれるまでは、
日々毎日何か予定を求めたり
仕事に悩んだりしていたけど
そんな
何かを「感じられる」、
普通に毎日を考えながら生きられるってことが
どんなにありがたく
奇跡的なことかを教えてもらった気がします。
これからも翼に感謝の気持ちでいっぱいにできるよう
前向きにゆっくり進んでいきたいと思います
end
懐かしぃ。
今2023年
その後二人の子に恵まれました。
間違いなく
翼が連れてきてくれた、
かわいい子供たち。
あのときは苦しくて苦しくてしょうがなかった。
どうか苦しいときは無理しないで
思いっきり悲しんで。
そうすれば
また前に進める時が来ます。
時間が何よりの治療薬
どうか自分を他の人と比べないで。
見えないところで
戦ってる人がいる。
応援してくれてる人がいる。
私もそんな人たちの力になりたいと思っています
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