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【雑記】ノアの方舟とシャーレアン

暁月のフィナーレに突入した。
物語はアルフィノやアリゼーをはじめとする暁のメンバーに縁の深いオールド・シャーレアンにうつり、加速度的に「ハイデリン世界の真実」に迫っていく。

…で思ったんだけど、シャーレアンは一体どこまで気が付いているのだろう?シャーレアンが持つ使命とは何なのだろう?
今わかる範囲で考えたい。
なおこの記事は「ゾットの塔」突入前までで書いています。

ノアの箱舟伝説に着想を得た国

ということで、シャーレアンという国の成り立ちをまず確認する。
第五星暦末期、各地で大洪水が発生した。その時「ニュンクレフ」というルガディン族の男性が大きな船を作って人々や食料を乗せた。洪水の末にさまよい、船は岩山の上に乗っかって彼らは助かった(この船がアラミゴにある船で、リセと偵察するとき上ったやつだ)。
ところが命が助かった人々は、やがて相争い食料や土地を求め戦いを始めてしまった。ニュンクレフはその様子に落胆し、自分を支持する人々を連れて再び船を作り、北洋の島にたどり着いた。そこで国を立ち上げた。
それが現在に続いているシャーレアンの建国神話だ。
ニュンクレフはシャーレアンを作るにあたりいくつかのルールを設けており、それが今のシャーレアンでも重要な考え方として根付いているようだ。

ニュンクレフが船を作って人々を乗せ助けたが、そののち争いが生まれたというのは旧約聖書のノアの箱舟がそのまま下地になっている。

ノアはある晩に神からお告げを受けた。それは人々が堕落し神を忘れてしまったから、洪水を起こして地上をリセットするというもの。信心深いノアの一族は助けようと言った神からの助言に従って、ノアは息子たちと巨大な船を作り、そこに自らの家族や世界中の生物のつがいを載せた。するとその数日後に大洪水が起こり、ノアの一族以外人間はすべて死んでしまった。
何百日間も箱舟は漂流したが、とある山(とくに有名な伝承ではトルコにそびえたつアララト山だと言う)の山頂に船は乗っかってノアの一族は助かった。故に今を生きる人々はみんな、ノアの一族の子孫なのだ…という、旧約聖書の創世記に書かれた話だ。ちなみに類話はさらに遡り、シュメールの時代に書かれたものもある。それくらい洪水神話は現実世界でも普遍的にみられる物語だ。

だが、このノアの箱舟とニュンクレフによるシャーレアン建国神話にはまた別の共通点がある。
それはこの世の終わり、つまり終末思想に関係する話であるということだ。
エオルゼアでは霊災が起こるたびに世界が一度滅び、新たな時代となって世界が新生する(たとえば第七霊災では旧FF14世界が滅び、変わりに新生FF14がスタートした)。
これと同じことが、多分ニュンクレフの時代にも起こった。つまりニュンクレフは「世界の終焉を目撃した人」だ。アーモロートで起こったことと同じようなことを目撃し、世界が滅んでいく様をただ見つめているしかできなかった……というわけではない。
でかい船を作って人々を救い、やがて国を建てた。

こんな経験をした人が建てた国なのだという前提で考えてみると、ラヴィリンソスを見ながらふと思った。
「もしかしなくてもラヴィリンソス、これそのものがでっかい船だったりしないよね?」
ラヴィリンソスの在り方は、まさにノアの箱舟だからだ。
ノアの箱舟はあらゆる生物をつがいにして載せた。それは体の大小を問わず、ねずみだって象だって載せた。この世のすべての生き物を乗せたのだから、そうであるはずだ。つまりラヴィリンソスの理念や目標(可能な限り生体展示する)とまさに合致する伝説がノアの方舟だし、このモチーフを使うならば自由に動き回れるだろう。

ラヴィリンソスはもともと火山のマグマ貯まりだった場所に作られている。そこにあったマグマはどこに行ったのだろう?と考えて、実は燃料として保存されているかも、と想像したりもした。

長い前置きになったがここからが本題。
現状私が考えているシャーレアンの大いなる計画は以下の通り。
「今後ハイデリンという星が滅びるならば、その滅びの前にたくさんの荷物を積んで宇宙に旅立ち、ほかの星で生活すること。ニュンクレフのように自分の理解者たちと、新たな国を作ること。」
だから哲学議会のメンバーたちはずっとそのことを計画していた。ヤ・シュトラが「実行に移すタイミングを待っていたようだ」と言っていたのは、シャーレアン建国からずっと、この時が来ることを理解していたからだ。

宇宙への脱出はあちこち匂わせ中

さて、突然私はひらめいたから「宇宙に脱出しようとしている」と思ったわけではない。
むしろ「ドラゴン族たちは別の星からやってきた、別の生き物なのだ」という話をしつこくされたから想像したことだ。

ドラゴン族たちがハイデリンで生まれた生物でないことは、割と昔からされている。多分一番古い話は「黙約の塔」あたりで話をしたことだ。そのあと不浄の三塔でもイゼルの友達であるヴィゾーヴニルが話してくれる。
つまり、結構しつこく「竜とは地球外生命体なんだよ」という話をしていて、竜の存在そのものがハイデリンの精神を反映した存在なのだ、ということもここでわかる。FF14の話は繰り返し他種族との融和、理解できないものと対話することの話を続けている。これもまたハイデリンと竜たちの対話の話だった。
ところが暁月に至って、なんだかちょっと違う意味を帯びてきたな、と思った。

ヴリトラからの話をはじめ、ドラゴン族がハイデリンにやってきた理由は端的に言えばこうだ。
「その星に住めなくなったから、ハイデリンに住むことにした。ハイデリンが受け入れてくれたから、ハイデリンで暮らすことにした。」
ハイデリンはその生まれの段階から、多様性にたいして非常に寛容だ。これはアーモロートに生きた古代人たちとは全く考え方が逆だと言っていい。アーモロートは多様性に否定的であり、ゆえに個人資産を持たず、個性を発揮することをよしとしなかった。
それについてはこちらで書いたので参照のこと。

つまりハイデリンの引き裂く力とは、そのまま人々や物事に差や優劣が生まれることを指しており、そのすべてをあるがままに受け入れてくれる……というのがハイデリンなのだと考えたほうが理解できる。

多様性を受け止めていた器、それこそがハイデリンだった。だからエオルゼアやFF14の今の世界におけるルールとして「多様性を認めること」が絶対に守られるルールとして根底に横たわっている。
ガレマール帝国が滅亡の道をたどったのもそのルールに反しているからだし、アラグ帝国も多分そういう理由で滅んだ部分がありそうだ。

アシエンがかかわると「反多様性」となり(アシエンはゾディアークの信徒であるため)、逆にあらゆる人々とたとえ戦う時があったとしても、共存の道を模索していく「多様性を受け入れる」人々はハイデリンの信徒となる。
ヒカセンやミンフィリアたち光の加護を持つ人々が融和の道を進めるのは、ハイデリンの信徒であるからだ。融和のために超える力、つまり他者を言語すら超越して理解することができる力がある……と、考えたほうが、構造が理解しやすいように思う。

つまり、そこから脱出していこうと思うなら、おのずとハイデリンの意志と反する行動を取ることになる。
逆説的に言えば、シャーレアンがもしも自分たちの理解者だけを箱舟に乗せて新たな国を作ろうと計画するならば、ハイデリンから離れなければならない。これは多様性の否定に繋がるからだ

選民思想の国 シャーレアン

シャーレアンはかなり選民思想が強そうだ。
表向きはグ・ラハのように生まれも育ちも問わず、学問で身を立てることができるものも多い。
しかしその内情は、バルデシオン委員会のように外部と濃厚な接触を伴う人々はほとんどいない。とにかく閉鎖的で、第七霊災が発生する直前も協力要請を拒否し、自分には何も関係ないと言わんばかりの態度を貫いている。というか、実際シャーレアンはそういう風に思っている。
だから外部のニュースは入ってこないし、フルシュノから絶縁されたアリゼーに対して「自分の出世に響くから」と言って協力を拒否できる。シャーレアンの外のことなんて、シャーレアン人には心底どうでもいいからそう言う態度になる。

この辺のやりとりを見て「マジでハイデリンで何が起こっていても関係ないんだな、世界の変異は研究対象ではないんだな」と思った。
世界を救う気なんて全くない、むしろ見捨てるつもりの国ではないか。だからテオフォロイのことはどうでもいい。彼らの手から勉学のできるひとたちだけ逃れさせることができればいい。終末が来ても自分達は助かるのだからそれでいいのだ。
本当に自分たちが助かるかどうかなんて、やってみなければまだわからないのに、すでに成功したつもりでいる滑稽な国、それがシャーレアンではないか、と想像している。

この論法でいくと、おそらくシャーレアンは世界の真実を知ってはいるが目を逸らしている。
自分には関係ないと言い聞かせながら殻に閉じこもっている状態なので、まあひきずりだされるだろうなぁ…と思う。
シャーレアンが望もうと望まざろうと、彼らも立派にエオルゼアの歴史の一部でしかないわけだし。

シャーレアンは傍観者になれるのか?

結論から言うと無理だ。
シャーレアンの哲学議会の議員の多くは、自分たちは歴史の傍観者だと考えているわけだが、しかし傍観者を傍観者と決めるのは一体誰だろう?自分がそう自負していたって、この世界に生きる以上は必ずそのどこかに自分が埋め込まれてしまう。それが社会というものだし、歴史というものだ。
人間は社会の中に生まれた瞬間から、歴史の傍観者にはなりえない。歴史を構成するひとつのパーツにならざるを得ない。
100%絶対の傍観者になれるわけがない。
どんなにどこかに逃げようと思っても、必ずどこかでからめとられてしまうものだ。哲学者議会という名前なのに、そういうことは考えなかったのかなぁと思うと同時に、歴史の傍観者であるためにハイデリンから逃げ出すのだ、と繋がった気がする。

でもハイデリンから逃げ出した先でも、人々が歴史の傍観者であることはほぼ無理な話だ。どれだけ逃げても新しい社会はそこに存在するのだから。


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