佐野美知夫さま『仏教にもっと音楽を!(Ⅴ)』へお答えして。仏教と芸能の香港 ジャッキー・チェンも歌う『般若心経』関連記事
佐野美知夫さま。
先ずは、
ご新作
仏教にもっと音楽を!(Ⅴ)
賛歌 観音(観世音菩薩)さまの 深い愛
~(般若心経より)~
(副題): AIは人間を感動させることが出来るか???
にて、
私の『お経は暗くてつまらないか?』シリーズを、不器用で怠慢な本人を遥かに上回る丁寧さで、整列・紹介してくださったことに、深く御礼申し上げます。
佐野さまのご文章には、「コメントせねば、、」と思いながらも、生来の怠慢さに加えて、テーマが「AI」「仏教と音楽」「般若心経」等複数にわたり、それぞれにどうコメントするかと考えているうちに時間が経ってしまい、もうしわけございません。
それでも何とか、一点だけ、
「漢文と日本語、中国語」
という観点から論じたものを、御文章の末尾の「コメント」に記入しようと思ったのですが、字数制限を超えてしまい、書き込みできなかったので、ここに書かせていただきます。
ご文章にある
「私たち日本人とは違い、般若心経で使われている言葉がそのまま、アジアの中国語圏の人々の日常の使用言語でもある人々にとっては、そのお経の意味は、そのまま楽曲の歌詞としても心に響く」
という
ご指摘は、その通りだと思います。
日本で『般若心経』は、漢文を、意味の切れ目もかまわず、そのまま棒読みします。
例えば、
「しんむーけーげーむーけーげーこーむーうーくーふーおんりーいっさいてんどうむーそうくーぎょうねーはん」
と言ったようにです。
手元に、解説書も訳本も渡されず、持参もせず、耳でこういう音[おん]だけを聞いて、日本人がその意味を分かるはずはありません。
漢文は、本来、外国語なのですから。
一方、中華系の人にとって、漢文は - 古文と現代文の違いこそあれ - 外国語ではありません。
音[おん]を聞けば、字が推量されます。
しかもご紹介した香港オールスターの般若心経ポップでは、意味の切れ目が音楽の切れ目と合致し、画面には字幕まで出ています。
先ほどの「しんむーけーげー」、、の部分は、こうなります。
「心無掛礙(サㇺ モウ くわ ンゴイ)、
無罣礙故(モウ くわ ンゴイ く)、
無有恐怖(モウ ヤウ ホン ぽう)、
遠離顛倒夢想(ユィン レイ てぃん とう モン ソェン)、
究竟涅槃(かう きん ニッ ぷん)。 」
彼らにとっては、音[おん]が分かり、字も読め、句の切れ目も明らかですから、全体の意味も推量がつくことでしょう。
「心に差しさわりや妨げは無し、
差しさわりや妨げ無きが故に、
恐怖はあること無し、
転倒した妄想を遠く離れ、
涅槃を究[きわ]める。 」
というように。
『般若心経』については、上記も含め、全文の広東語と日本語訳を付けようと思っております。
ただ、広東語の発音を記すのは物理的に時間をかければ出来ることですが、内容については原文そのものが、例えば『阿弥陀経』や『讃仏偈』等他の経典と比べると、とても分かりにくいため、現状、けっこう苦労しております(上記「心無掛礙、、」の部分はそれでも分かりやすいほうです)。
『般若心経』は、他の方々の本やネット記事等によって、勉強しておりますので、そのうち、場合によっては、広東語の発音記載の方が先行するかもしれませんが、現代日本語訳も載せる所存です。
(令和6=2024年6月24日)
< その後、般若心経ポップ広東語の発音を、カタカナ・ひらがな・ローマ字付きで記載しました。 ↓
「校長」アラン・タムと「四天王」たちによるソロ『般若心経』 仏教と芸能の香港2 お経は暗くてつまらないか? 仏教ポップスへのいざない5|白井千彰 (note.com)
https://note.com/kind_clover193/n/n1cb566960f5d
令和6=2024年8月26日 >
↑ 本ページ最上部の写真:
香港 萬佛寺(万仏寺)からの眺め(平成25=2013年2月11日 撮影)
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