明治東亰恋伽(試し読み9)
学生服での参加者が自分だけではないとわかり、芽衣は心から安堵した。しかし彼は、一方的に親近感を抱く芽衣をはねのけるような目つきで、
「鴎外さん。このご婦人は?」
「うん?ああ、彼女とは今知り合ったばかりなのだよ。つい話に花が咲いてしまってね。これから銀座のカフェーにでも誘おうかと思った矢先に、おまえという邪魔が入ったわけだ」
同意を求めるように彼は微笑みを向けてきた。なんと返事をするべきか戸惑っていると、学生服の青年はあからさまに眉根を寄せる。
「・・・・・・鴎外さんは相変わらず、珍妙なものがお好みのようですね」
その呆れたようなつぶやきを、芽衣は聞き逃さなかった。
彼の視線は明らかに芽衣へと向いている。まさに珍妙なものを見る目。道端で盆踊り中のパンダにでも遭遇したかのような、理解不能といったまなざしだ。
「こうして珍しいものも見られたし、十分満足したのでもう帰ります。鴎外さんはどうぞごゆっくり」「こらこら、待ちたまえ。まったくせっかちな・・・・・・」
二人はなにやら言い合いを続けながら、人混みの中に紛れていってしまった。
「珍妙・・・・・・?」
その場に残された芽衣は、改めて自分の身なりを確認した。別に汚れたり破れたりもしていない。念のため銀食器に自分の顔を映してみるが、目と鼻と口も普通にあるし油性ペンでイタズラ書きもされていなかった。つまり珍妙な要素などひとつもない。「やあ、いきなり有名人とご対面だね」
「っ!」
いきなり耳元で囁かれ、ビクッとしてしまう。
それまで遠巻きに傍観を決め込んでいたチャーリーが、いつのまにか隣にいた。ちゃっかりと山盛りのローストビーフを口に運んでいる。それを羨ましく横目に見ながら、
「あの人たち、有名人なんですか?」
「そう、いまのは軍人であり文筆家の森林太郎・・・・・・というより、森鴎外と言ったほうがわかりやすいかな。そして彼と一緒にいた書生は、日本画家の菱田春草だよ。名前は聞いたことあるだろう?」
ー森鴎外。菱田春草。
頭の中で歴史の教科書がぺらぺらとめくられる。自分に関する記憶は曖昧なくせに、不思議とその名前に関する知識は授業で教わった範囲内で覚えていた。どちらも明治時代に活躍した文化人だが、
「え?でも、だって」
「そうそう、今夜は井上馨が主催する夜会なんだってさ。ロシアの貴族が来日してるらしいんだ。どうりで顔ぶれが豪華なはずだよねえ・・・・・・ほら、あそこにいる有名人が」