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胸がキリキリ痛いときに読みたい小説
もう無理かもと思ったときに
私も年に何度か、もう無理かも、立ち直れないかも、と思う日がある。物事の悪いところしか目につかなくなったり、理由もないのに息苦しく感じたり。そういう時には、無理やりポジティブな気持ちになろうとせずにおもいっきり感傷的になれる作品を読んで、涙を流し、澱を流すと立ち直る気力が生まれてきたりする。この記事では、そんなキリキリ胸が痛む日にじっくり読みたい小説を3選紹介する。
どうしたらいいのかなんて誰にもわからない。それでも、「夜明けのはざま」
家族葬専門の葬儀社「芥子実庵」を舞台に様々な人間模様が描かれる。葬儀屋が舞台なので、どの話においても、誰かが亡くなり、それをきっかけに今まで見ないようにしていた部分の蓋が開く。それぞれの人が抱える名前のつけられない悲しみ、苦しみは何度考えても答えが出ないことばかり。答えは出ない、考えても仕方がないと心に押し込めていたあれこれが、「葬儀」を巡って動き出し、少しトンネルの向こう側の光が見えるような、そんな短編集。
個人的に好きなのが、3章の「芥子の実」。子供のころ、心に受けた傷はもうその相手が目の前にいないとわかっていてもいつまで経っても痛いもの。特に相手の悪意のない言動が自分の尊厳を傷つけた時には特に。あの時もっと自分が強ければ、そんな昔のこと早く忘れたほうがいい、あの時の自分とは違う、許した方が楽になるのは分かってる、でも許したくない、許せない…。
結局そういうものはなんとかなることはなくて、背負って生きていくしかないんだけど、仕方ない、背負っていくかと開き直れるようになるまでがしんどい。キリスト教には人は生まれながらに十字架を背負うと言う表現がある。個人的な感覚だが、私たちには自分の背負っている十字架を確認する時期が定期的にやってくるような気がする。現在進行形で、自分の十字架を確認中のみなさんにぜひ読んでいただきたい一冊。
どこで躓いてしまったかわからない、そんなあなたへ「遠くの声に耳を澄ませて」
なんてことはない、ちょっとしたことのはず、というかそもそもそれが原因かもわからない、でもなんだか調子が悪い。そんな時に読みたいのが「遠くの声に耳を澄ませて」。こちらは「羊と鋼の森」で本屋大賞を受賞した宮下奈都による短編集。
宮下奈都さんの小説を読んでいて気づかされるのは、人が悩むとき、その悩みの原因であったり、解決策というのは、自分が悩みの根源だと思っている所とは別のところにある場合がある、ということ。もしくは、自分が求めているものは実は解決策ではなかったかも、ということ。
どこで躓いたんだろう、どこが悪いんだろうと思っているうちは、目を向けるべきところがわかっていなかったりする。だからこそ、ちょっと景色が変わると見えてくるものもあるよ、というちょっとしたヒントを与えてもらえる気がするこの小説。コルク栓がポンと外れたような爽やかな読後感が楽しめる。
中高生の時の自分に語り掛けたくなる、「青い鳥」
大人になったら少し言葉にできるようになったけど、その時はうまく言葉にできなかった。伝え方はわからなかったけど、でも分かってほしかった、理解してくれる人が欲しかった。そんな思春期の自分に送りたくなる一冊、「青い鳥」。
こちらも短編小説で、それぞれの章で、周りとなじめないと感じる中学生たちのもどかしさ、悲しさ、苦しみが丁寧に描写される。登場する子供たちの背景がまた複雑で、どう声をかければいいのか分からなくなる。
重松清の作品は、小学生から高校生まで、いわゆる「アダルトチルドレン」もしくは「思春期」といった大人への過渡期を過ごす子供たちの心象描写が非常に巧みであることが特徴。本当の意味で「子供」という視点から逃げない方だなと感じる。この「青い鳥」にはどの章にも村田先生という吃音を抱えた先生が登場する。ほとんどの描写は主人公たちの心象なのだが、それぞれの学生たちに寄り添い、最終的に道筋を示す鍵となるのが村田先生である。
重松清自身が吃音を抱えていることを明かしており、重松清の代表作「ナイフ」、「エイジ」などの比較的初期の作品は、大人たちは子供を一人の人間として見てくれていない、誰も助けてくれないという主張が聞こえてきそうな、どちらかというと、少年たちの苦しみやそれを引きずり続ける大人の声を代弁したような作品であるという印象を受ける。
一方で、この「青い鳥」を含めた後の作品は、そういった弱い立場に置かれた人々を描写する一方で、その人々を救おうとする「大人」が登場するようになる。
現在では、早稲田大学でも教鞭をとるなど、救ってほしかった少年から、救うにはどうすればを考える大人へと、重松清自身の視点の変化も想像しながら読めるため、この作品だけでなく、重松清の他の作品も、年代ごとに読み進めるという楽しみもある作家さんでもある。
まとめ
ここまで、「胸がキリキリ痛いときに読む小説」を紹介してきた。紹介していて、胸がキリキリ痛いような、自分が弱っているときには一つの長い作品を読み続ける気力を必要としない、「短編小説」というスタイルが向いているのかもしれないと感じた。今回紹介した作家さんたちは、それぞれ他に「代表作」と呼ばれる作品たちが存在するのだが、実はそちらの代表作は読んだことがなかったり、今回紹介した作品の方が好きだなと思う方たちばかりである。弱っている時にこそ読みたい本は、普段の自分がさらっと読めて、誰にでも勧められる「いつもの本」とはやはり違う力を持つものでなければならないのだと思う。だからこそ、その時々で、自分に合った処方箋を見つけるのは難しい。今回紹介した本は、泣きたいけど涙が出ない時に確実に泣けるものを用意したので、涙を流してすっきりしたい人はぜひ。また、先ほど言及したように、どの作家さんたちも他の作品の評価が非常に高い方たちなので、ぜひぜひ他の作品にも出会ってみてほしいと思う。それぞれの作家さんたちの代表作はこちら。
町田その子
宮下奈都
重松清
編集後記
ここまで読んでいただいてありがとうございました。私は、年末に時間ができると、ゆっくりできる一方で、地元の友達に会ったり、一年を振り返ったりする中で、忘れていたはずのモヤモヤが復活することがよくあるので、そんな時に読みたい本をそろえてみました。確実に泣ける、とは言ったものの、これらの作品は母からすると、「何がいいのかわからない」、とか「そんなん言われなくてもわかってるし」というコメントをもらったりもするので、もしかすると、すでに多くの吸いも甘いも経験された方々からすると、ちょっと物足りないというか、ご自身の体験の方がよほど大変だったということもあるかもしれません。もしくは、今現在問題に直面していて、こんなの読んだら余計にしんどくなる、ということもあるのかなーと思ったりもします。そういう時は、自分の娘、息子世代はこんなことで「もやもや」「キリキリ」するんだなーとあたたかい目で見守っていただけると幸いです。