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ひとに愛される生き方をしてこなかった結果を今、味わっている

出会いと別れの季節ですね。

ここ最近
駅や街中で、職場で
知人のパーティで、個展で

たくさんの人が集まり
あちこちで繰り広げられるハグと涙の嵐を
目の前にして

もらい泣きする機会が何度もありました。

仲間って、友達って
本当に良いな。



思い起こせば、物心ついた頃から
友達と呼べるような友達がいなかった私。

いじめられていたなどではなく
異常なほどコミュニケーションが下手であった。

グループ分け、とか恐怖の時間でしかなかったから
自ら◯◯長、とか◻︎◻︎係、とかに挙手して
カタチだけの存在意義を作って逃げていた。

当然、ハッタリは通じず人望も薄く
関わってきた数多くの人とは
その場限りの知り合い、で関係は止まる。

あの、子どもの頃からの気の合う友達が
たとえひとりでもいてくれたなら
懐かしく大切な思い出のひとつもできたかもしれない。

今でこそ

孤独は悪くない。
無理に作る人間関係は不要。
おひとり様上等。

ってな考えに強がりでなく至るようになって

行きたいところには
好きなときに当然のように
ひとりで行く自分が大好きではあるけれども

仲間、とか
チームワーク、とか
友情、とか
手に届かないところにあるそれらには
憧れの気持ちが絶えることがありません。

もはや渇望を超えて執着に近いかも。

ひとに愛される生き方をしてこなかった結果。

コミュニケーション下手よりもそれよりも
ひとに愛される生き方をしなかった。

不機嫌で
自分以外のものぜんぶのせいにして
いいことがあったらあたりまえ。

数年前に
わかってしまった。

だから、これからは私は返していこうと決めてます。
今までもらったものを。

目の前の人に喜んでもらうために。
ありがとうを伝えるために。

これからは生きていこうと決めています。


ふと、そんなことを思い出し
考えるきっかけになった年度末の桜のつぼみ。

さあ、明日から4月です。

私と出会ってくれて、ありがとう。

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