尊敬する人の弟子になりたいですか?
私も過去に2、3回勝手に誰かの弟子にされかけそうになった。ありがたいことに全部免れることができた。
私のなりたい職業が定期的に変わるのですが、その職業に詳しい人に目指していることを話すと、相手のご好意からその道のプロとなる人を紹介していただきます。
そして私が望んでいるわけではないのに、私が知らないところで、勝手に弟子入りさしてくれないかと頼まれてしまうことがありました。
ですが、運良く、その話が進まなかったのは、その道のプロの方々が拒んだからです。今の時代、弟子入り制度を取るプロは少ないと言う答えが大半でした。時代が変わってて良かったと思いました。
それにしても、勝手に弟子入りを申し込まれて、勝手に断られるなんて、不思議な話ですよね。
その昔はお笑い芸人は弟子入りが主流でした。でも、ダウンタウンが第1期生の吉本興業のお笑い専門学校ができたことによって、弟子入りしない人が増えてきました。
落語会は未だに弟子入りが普通みたいですけど。立川談志みたいに月謝制の人もいるのかな?
私が弟子入り制度に魅力を感じない理由
は2つあります。
①師匠のことを尊敬し続けない未来の自分がわかるから。
私は、有名人や知識人、アーティストを始め、好きになり、その人たちの作品を数ヶ月かけて猛烈に研究していきます。
そうするとどうなるか?
だんだん嫌いになっていくことが多いです。本当は好きであり続けたいのに、探求していくと、その人の周りに見せたい顔と本心のギャップがわかってしまい、結果的に大嫌いになってしまいます。
だから、
私が尊敬するその道のプロに、自ら弟子入りする前に、彼らの研究をし、尽くして大嫌いになっていることが多いので、弟子入りしようとすら思いません。
それに、弟子入りしたとしても、大嫌いにならなくて済む人は数少ないと思っています。
あと、弟子入りは、毎日顔を合わせ、お手伝いさんのようなことをする時間が長いイメージがあります。よほど気に入った人でない限り、毎日顔合わせたくないし、日々の自分の家事だけで手一杯なのに、他人のために日常の家事をするなんてものすごく嫌です。
それに、奉公活動をしていれば師匠次第でチャンスをくれるかもしれないと思っている。自分の下心が汚く感じて、自分のこと嫌いになりそうだから弟子活動なんてやってらんない。
あと、変な師匠についてしまったら、ブラック企業と同じで、自分の思いついた良いアイディアが、師匠の手柄になってしまったりしていいことない感じがする。
②師匠に認められることが目的になってしまうから。
小説やお笑いのコンクールと同じで、たまたまその時、審査員になった人の好みで作品が選ばれてしまいますよね。
賞を取ることで自分の作品や芸を世の中の多くの人に見られるチャンスが広がるからみんな賞を取りたがる。
そこまで考えていない人は、審査員になった人の中に憧れる芸能人がいて、その人に認めて欲しいから。
または自己承認欲求が、受賞することで満たされるから。
だけど、審査員と自分の笑の好みが違う場合は、その審査員に指定されてもなんともは無いですよね。
それと、同じで、自分が力をつけるために弟子入りしたはずなのに、師匠に添削をしてもらったら、全部その師匠の好みになってしまいますよね。つまり、ものまね作品ができてしまうわけです。自分のオリジナリティーを消されてしまう可能性もあるし、師匠にジャッジしてもらうと、師匠に認められることが目的になってしまいます。
それって自分のメリット目的達成のために近づいた弟子としては、デメリットになるのではないでしょうか。
弟子になる人の特徴
①師匠を尊敬している。芸を盗めなくてもいいから近くにいたいと言うほど、宗教的に崇拝している。
ストーカーか熱狂的なファンレベルの弟子は、その師匠の小間使になってもいいと思えるから、ただそばにいるだけでも価値があると考えている。
②自分にとってメリットがあると思うから弟子入りしている。
弟子入りする人は、申し込むときに、いかに師匠のことを尊敬しているのかを熱弁するだろう。そして憧れているあなたのように自分もなりたいから、近くに置いてくださいと言う。
そして小間使いみたいなこともするけど、見返りに芸のやり方や小説の書き方を教えてほしい、添削してほしいと思っている。
結局、彼らの本心は後者に隠れている。自分のことしか考えていない。師匠を尊敬しているなんて嘘だ。師匠を踏み台にして自分を知り合いに売り込んで欲しいというのが本音だと思う。きれいな言葉で自分を売り込んでも、何年そばにいても、自分がを才能が開花されないと、師匠に憎むことになるだろう。
先日、辻仁成さんのブログを読んでいたら、長年辻さんのそばにおられる弟子(小説家を目指している50歳男性の書生さん)が弟子業を止めたそうだ。
そして450ページに及ぶ小説を書き終えて、辻さんのご自宅のポストに投函したとか。だけど、師匠である辻さんは、お仕事が後藤であり、なかなか読破してくれなかったそうで、アルフィーの日曜の朝、50歳の下で姿の男性と、その奥さんが現れて、早く原稿を読んでくださいと本気のお願いをしてきたそうだ。
辻さんの姿に怖すぎると書いていた。
そりゃそうだろうなと思った。50歳の元弟子の方は、彼のそばにいれば、小説の書き方のいろはも教えてくれると思っただろうし、自分の作品が師匠に認められれば、編集者に掛け合ってくれると思っ思ったのかもしれない。
私の想像だが、自分が売れるために、師匠の下に着いたと言う下心が報われなかったから、小間使いのような弟子を止めて、小説を本気で書き上げたんだと思う。そして今まで手取り足取りこき使われた分、見返りを師匠に求め始めたのだろう。
また、文章教室で、たまたま辻さんがお気に入りのアマチュア作家さんを発見したのだ。その人のことをたいそう気に入り、お抱えの作家として使うことになった。
毎日のように辻さんのそばに張り付いた50歳男性は、何年たってもほったらかし状態であったが、文章教室に送られてくる素人の作品がレベルが高くなったことで焦ったのかもしれない。そのことを辻さんはブログで、火がついたと言う表現をしているが、上記に書いた通りだろう。
確かに、辻さんのブログによく登場してきた。50歳男性の弟子さんは、よくこのように表されていた。「本当にこの男は使える」と。
完全にアシスタントとして使っていた。お手伝いさんと言っても良い。
ある意味、売れるために師匠を利用したい下心がある弟子と、尊敬されることを鵜呑みにしていいよに使う師匠の似たものコンビなのかもしれない。
大人になると、純粋な関係を築きにくいと言われる。みんな自分のことがかわいいから、自分にとってメリットがある行動しかしない。
陳腐な師弟関係にならない稀有な師匠とは?
松尾スズキさん
伯山?の師匠
さんまさんの師匠
赤塚不二夫さん
メディアで語られているのを見て、上記のお三方は、方にはまらない師弟関係を作れる稀有な存在だと感じました。
なぜそう思うのかと言うと、師匠がどのような人格であるかを、直近の弟子と言われる方々がお話しされていたからです。
3人とも、自然体で飾らず、謙虚で、芸には熱心で、たけど師匠として偉そうではなく、高圧的ではない態度で自分が良いと思うことを提案する形で教えてくれる。
価値観の押し付けではなく、懐が深い、何より人間として温かみがある人ばかりのようです。
圧迫感のない関係だからこそ、緊張しすぎずに会話できて、実施と言われる人たちの自主性が育まれてオリジナリティーあふれる師匠とはまた違う作品を紡ぎ出せるような気がします。
そういう意味では、師匠の生き様を通した教えがあるからこそ、自然と弟子のほうも真摯に芸事に取り組む姿勢が生まれるのかもしれない。
つまり、自分が売れるために、師匠を踏み台とする下心も生まれないので、純粋な人と人としての関係が築けるのでしょうか。
こんな師匠は珍しい
師匠だけれども、弟子と対等で人間として扱ってくれる。弟子が求めていることを教えてくれる師匠はものすごく珍しい存在。
類は友を呼ぶと言う言葉がありますが、そーゆー意味でも、よくも悪くも、似たもの同士が惹かれあって、師匠と弟子が共鳴し合う関係になんているのでしょうね。