ふくよかな人、って表現は差別⁇
アメリカでは、数年前から「デブ」「ブタ」などと、太ってる人のことを言葉で表現すると、差別用語になるので、社会的に言わないようになっているようです。
まぁ、普通に考えて直接言っちゃいけないことだと思いますけど、アメリカ人は思ったことを口にするから、わざわざ社会的なルールとして広げないと止めないんでしょうね。
そういえば「太っている」もNGワードかもしれません。
表現がギリギリオーケーなラインは?
体が大きな人
ふくよかな人
この辺の表現は行っても良いようです。アメリカのドラマを見ると、わざとこの題材をコメディーに盛り込んで、言っちゃいけないことを言ってしまうストーリーが多いです。言っちゃいけないと思えば思うほど、言いたくなるのが人間ですよね。
それにしても、体が大きな人もほんとにオッケーなんでしょうか?言い方を変えているだけで、言ってる内容は全く同じですよね。こうなってくると、ニュアンスとか言い方に委ねる部分が大きいと思います。
あと5年ぐらいすれば、「体が大きな人」または「体がふくよかな人」と言う指摘をすること自体が差別になるのではないでしょうか?そんな社会的通念になるような気がしてなりません。現時点でも私自身そう感じます。
つまりは思っていても、心の中にしまっておくことが、全体を通して求められる社会になってきそうです。思っているだけでも、相手に伝わってしまうようなテクノロジーは、産み出さないでほしいと心から願います。頭の中や心の中は、その人の自由空間であり、究極のメタバースでもあるので、そこの自由は永遠にあって欲しいです。
幼稚園生や小学生は思ったことをそのまま口に出すから、子供は残酷だと言われる所以ですが、国によっては大人になっても言葉で主張しなければいけないので、年齢は関係ないような気がします。
思いやりのある社会といっても、人によって何が思いやりにあたる行為なのかはそれぞれなので、中国やロシアのように国民の思考までも統制するのは嫌だなと個人的には思います。
いろんな人間がいるからこそ、このカオスな人生が成り立っているような気もしますし、休み休み自分が帰れる場所確保しながら、のんびりと生きていきたいものですね。