読書記録2025/1/24
少しずつ、少しずつ進めている。
ポール・ティンゲンなんかよりよっぽどジャズに評価軸が寄っているものだから意外だったのだが、クインシー・トループも、マイルス・デイヴィスの後期、つまり音楽的にはジャズとかファンクとかもっと先進的な音楽などの潮流に乗っている時期に、いわばインタビュアーとして近付いた人物、だったらしい。
ポール・ティンゲンは、いわば事後的に、人々の証言をかき集めて彼の死後に、彼の後半生の伝記を書いたので、当事者的ではないからこそ、ああいった正しく見えるようなスタンスを貫けたのかもしれない、一方で、クインシー・トループは、マイルスの、どぎつく人を拒絶する視線を浴びながら、直接その話を聞いたのだから、どちらにも価値があるものと見なければいけないのかもしれない。
テル・ケルの創始者であるフィリップ・ソレルスだが、今まであの滔々たる川の流れのようなとりとめのない文章ばかりに接していたから、作者がどんな人物なのかあまり人間性としての像を結んでいなかったのだが、この討論会の中でどんな振る舞いをするのかと楽しみにしていたら、なんだか現代で言うところの「コミュ障」のような、唐突に思いついたことを口走る落ち着きのない人物のように見えた。
参加者の一人が、ロブ=グリエに触れて、「自然・ヒューマニズム・悲劇」という文章の最後の終わり方について語っていたら、そこに割って入って
と、三度もパスカルと強調する、次の発言のタイミングもなんだかそんな感じだった。
だから悪いというのではない。逆に、ノー準備で唐突に発言する人物はこういう本の中では面白い。
ハーンは、チェンバレンも、のんきに当時の1900年代まわりの詩人について軽い文句を言い、気候に対して悪態をついている。