他人を推す前に、まずは自分を推せ。
「推し活」という言葉が定着したのには、それを仕向けた何かのチカラがあると思います。
「推し活」をする人口が増えることによって、日本の経済を回す目的かもしれないし、もっと他の目的があるかもしれない。
そもそも、推しは必要なのか?
僕は、推しは必要ないと考えています。
好きなアイドル、キャラクターがいることは全然良いと思います。むしろ、それを応援することでリフレッシュできるならとてもいい。
ただ、推しが自分のアイデンティティにまでなってしまうのは、自分のアイデンティティを自分から他者(自分以外の何か)に移してしまう危険な事だと懸念してしまう。
僕のアイデンティティは僕の中にあります。遊戯王プレイヤーであり、ミュージシャンであり、他様々なものがある。僕が何者なのかは僕自身がちゃんと持っている。
オシリスの天空竜(アイコン)が大好きですが、オシリスの天空竜が僕のアイデンティティとは成りえない。
推し活は自己成長や自分と向き合うより楽なのかもしれません。自分は成長しなくていい、他人を応援しているだけでいいのですから。
でも、それは本当に自分の人生を生きていると言えるのでしょうか?自分のアイデンティティを自分以外の他者に譲っているのは本当に幸せな状態でしょうか?
「私は私だ」と言えず「私の推しは〇〇。〇〇こそが我が人生です」
それって本当に自分の人生に納得いっているんでしょうか。僕にはそう思えません。
念のため再確認しますと、僕は推し活そのものを否定していません。自分を差し置いて他者に夢中になる人生を心配しています。
言い換えるなら、
まずは自分を推せ!その次に好きな何かを推せ!
自分が推せるなら(自分の人生に夢中になれているなら)推しは無くても良い。
それが僕の主張です。
読んで頂きありがとうございました。
素敵な一日を!
健康オタクなアラフォー遊戯王:かずと