3年前、中1だった長女が 夏休み明けから学校へ行けなくなった。 行けなくなった理由が少しずつ明らかになった。 小学生の頃から、色々ありました。 長女が一番辛かったのは みんなができることが、長女には できないことの方が多かった。 全てにおいて... 授業で分からない所を分かる子が 教えるという時間があり、 長女は学習障がいがあるので 理解できず、教える子も段々と 長女を白い目で見るようになりました。 体育も苦手で、チームプレーが主となる バスケットボールやバレーボール
長女の得意なものは 絵(イラスト)を書くこと。 当時、コピックという色彩ペンみたいな ものが流行っていて 本格的にイラストを書く人たちが 使っている商品です。 長女もそれを使ってイラストを 書きたいと言ってましたので 購入することにしました。 ですが、このコピックは1本400円弱もし 種類も沢山あり、全色購入すると かなりのお値段になります(苦) 買い与えることもできましたが お金を出せばすぐ手に入るものと 思われても困ります。 お金を稼ぐにはどれだけの時間 労働しなけれ
今から3年半前、長女中1、二女小6の 夏休み明けから、同じタイミングで 学校へ行けなくなりました。 2人とも、『学校に行きたくない』 『死にたい』と言い出しました。 これは只事ではないと感じ、夏休み初日は 学校休んでもいいよ。と休ませました。 長女はこれまでに、色々ありましたので とうとうきたか!?という感じでしたが まさか、二女までこうなるとは 思ってもみませんでした。 今回は、長女が不登校になったきっかけを 書きたいと思います。 長女は小4の秋、心のクリニックで
初めまして! 私は新潟に住んでいる、50代主婦の サトママと申します。 私の家族は6人家族でございます。 旦那、旦那の母、私、軽度知的と発達障がいを 持つ高校1年の長女。中学3年の定型発達の 二卵性双子の長男と、HSCを持つ中学3年の 二女です。 子供に関しましては、ハンディキャップあり、 生きづらさを持っていたりで、子育ても 3人とも同じようにはできません。 ですから、とても大変です(汗) そして、ザ・昭和男の旦那と 時代の流れといいますか、 今の時代を受け入れられな