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他人の選択に口を出したくなったら?モンテッソーリ教育から考える学びのプロセス
「AIが投資してくれるってすごくない?」
母がAI投資のアプリを見せてきた。投資が自動で行われることに興奮している。
私は思わず 「オールカントリーを買った方が手数料が安いのに」 と言いそうになったが、言葉を飲み込んだ。
母にとって大事なのは「最適な投資方法」ではなく、「新しい体験を楽しむこと」なのかもしれない。
なぜ他人の選択に口を出したくなるのか?
人は、自分の選択が正しいと信じたいため、異なる選択を見ると違和感を抱き、修正したくなる。
これは「認知的不協和」の影響。
例えば、私はインデックス投資を信じているので、アクティブファンドを選ぶ人を見ると「その選択は割に合わないのでは?」と感じてしまう。
また、自分の選択を正当化したいために、他人にも同じ方法を勧める傾向がある。
「賃貸 vs 購入」論争も同じなのか?
家を買った人は「賃貸は家賃を払っても資産にならないからもったいない」と言い、 賃貸派の人は「家を買うとローンのリスクや維持費がかかる」と主張する。
この議論は、表面的には「どちらが合理的か」の問題に見えるが、本質的には「何に価値を置くか」の違いである。
所有の安心感や資産形成を重視する人は購入を選ぶ。
柔軟性や経済的リスクを避けたい人は賃貸を選ぶ。
つまり、どちらの選択も「正しい」のではなく、価値観やライフスタイルによって最適解が異なるという点で、AI投資の選択と共通している。
しかし、この議論はしばしば単純な二元論に陥る。
「賃貸 vs 購入」ではなく、「個々の状況に応じた最適な選択」と考えることで、相手の選択を尊重できるのではないか。
この視点は、モンテッソーリ教育が示す「学びのプロセスの尊重」とも重なる。
モンテッソーリ教育に学ぶ
モンテッソーリ教育では、
教えない、見守る → 子どもが自分で気づくのを大切にする。
興味を尊重する → 本人が関心を持つことを深める。
経験を通じて学ぶ → 失敗を含めて学びの機会にする。
例えば、子どもが靴を反対に履いても、すぐに指摘せずに「歩きにくくない?」と聞くことで、自分で気づく機会を与える。
この考え方は大人にも応用できる。
学びを尊重するためにできること
1. 「もっといい方法がある」とすぐに言わない
例えば、友人が高めのフィットネスクラブに入会したとき、「家でトレーニングした方が安いよ」と言うより、「楽しめてる?」と聞く。
2. 相手のワクワクを観察する
母は 「AI投資を体験すること」に価値を感じている。
3. 「どう?楽しい?」と聞く
「それよりこうした方がいいよ」ではなく、「やってみてどう?楽しい?」と聞いてみる。
4. 教えるのではなく、環境を整える
例えば、母のAI投資についても 「こうした方がいい」 と指示するのではなく、 「こんな選択肢もあるよ」 と情報を提供する。
結論:正解ではなく、学びのプロセスを大切に
母のAI投資は最適ではないかもしれない。
しかし、「楽しいからやる」 という理由も立派な動機。
同じように、家を買うか借りるかの議論も、 「どちらが正解か」ではなく、「本人にとってどんな価値があるか」 を尊重することが重要なのではないだろうか。
他人の選択にすぐ口を出すのではなく、「それ、どう?」と聞いてみよう。
もしかすると、その一言が、相手の学びを広げる第一歩になるかもしれない。