"育てにくい子" を育てていた私
この子はちょっと他の子と違うんじゃないか。
その強く思ったのは3歳頃だったろうか。
そう不安に思うようになったのは1歳の頃。
それより前は、小さな赤ちゃんだ。
こんなものだろうと思っていた。
泣き喚く我が子を見たママ友に
うちの子はこんな風に泣いたことがない。
なにかストレスが溜まってるんじゃない?と言われたことがある。
その時は心ない言葉に多少傷つくというか
ちょっと嫌なことを言う人だなぁと思ったくらいだった。
だけど、なんだか違う?
下の子が生まれて、ますます育てにくさを感じるようになっていった。
この子を連れて歩くと、ろくなことがない。
ペコペコ頭を下げなければならないことが多い。
些細なことで癇癪を起こす。
危ないことばかりする。
急に走り出すので怒られる。
一度泣き出すと止まらなくて
そうなると何をしても駄目だ。
1時間くらい泣きっぱなし暴れっぱなし。
そこが飛行機の中でも容赦なく泣き続け
前の座席を蹴りまくる。
4歳になって、ますます激しくなる癇癪に
手をつけられなくなっていった。
一度パニックになると、窓ガラスが割れるんじゃないかというくらいの勢いでぶつかったり叩いたり騒ぎだす。
この子を落ち着かせるのに精一杯で
下の子が泣いていても、抱いてやることもしてやれない。
赤ちゃん返りには、上の子を優先するようにと言われてやってきたが、結局のところ3人の子育てをしていて、私は誰の機嫌も取れないことが多い。
本で得た癇癪を落ち着かせる方法など
まるで役に立たない。
もはや何が正解かわからなかった。
この子の心は、発達は正常なの?
自分の力じゃ変えられない状況、毎日の癇癪、叫び声、泣き声。
お手上げだ。
大袈裟に聞こえるかもしれないが、
警察でも呼びたくなるくらい困って
誰かの手を借りたくなるような状況が頻繁に起きていた。
もう夕飯の時間で、お腹を空かせている時間帯に
お風呂にも入れることができず、ご飯も作れず、困り果てて仕事中の夫に電話したがあっけなく切られてしまったということがあった。
まぁ、仕方ない。
誰も助けてくれない。
そのことが悲しかったし不安でもあった。
子は勝手に育つものだと思っていたが、
そんな簡単ではない。
ただ普通に生活したいだけなのに叶わない。
家庭支援センターや育児相談にも足を運んだ。
話をすると多少楽になるが、状況というのはすぐに変わるものではない。
うちの子は、普通じゃない。
毎日こんなに大変なんです!と
事細かく状況を説明するのに必死だった。
発達障害の本も沢山読んだ。
そうしてかれこれ4年が経つのだが
ようやく気がついたことがある。
問題行動ばかりに目を光らせていた
私こそが問題ではないか。
酷い癇癪やおかしな行動があるたびに、
忘れないで話せるように細かく記録までしていた。
そんな風に子を見ている母親である以上
親も子も、誰も幸せにはなれない。
この子のマイナスばかりに目を向けて
欠点ばかりを探していた。
下の子に意地悪をしていないか
お友達に意地悪をしていないか
悪いことをしていないか目を光らせていた。
かわいげがなく意地悪で反抗的な子、
癇癪持ちの扱いにくい子とレッテルを貼り、
育てにくい子を育てていたのは私ではないか。
一体私は何をしていたんだろうと思う。
私はこの子の何を見ていたんだ。
子は親が思っているように育つとは、
まさにこのことではないか。
活発で、運動神経がよくて社交的で、新しい場にもすぐ慣れることができて、優しくて思いやりがあって、きょうだい喧嘩なんてしない、食べ物の好き嫌いをせず、何でもよく食べてくれる、親の言うことをよく聞いてくれて、公共の場では空気を読んで、静かに過ごせる子。
そんな風になってほしくて、足りない部分にばかり目が行き、叱りつけてはいなかったか。
もちろん、子の特性は変わるものではないけれど
ちゃんと我が子をみてみる。
案外ちゃんと成長していることに気がつく。
影になってるところには
光を当ててみる。
これは子育てに限らず言えることだが
少し目線を変えてみたら
見える世界は180°も変わるのだ。
うっかりすると人というのは
すぐにマイナスな思考に傾いてしまうから
今後も気をつけていこうと思う。
もちろんきょうだい喧嘩は絶えないが
優しくしてる1コマだってある。
仲良く遊んでいる時もある。
食べるのが早い日も、残さず食べてくれることも。
ママが大変そうだからと
洗濯物をたたむのを手伝ってくれることもある。
いいところを探して目を向けてみると
かわいらしい面が沢山あることに気づく。
光を当てていこう。
親子でご機嫌でいられる日が増えますように。
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