無心の境地は、坊さんの修羅の顔も笑えた。
夏休みの座禅
小学生の頃、夏休み
家のに近くにあるお寺に行く行事があった
カブトムシで相撲をしたり、スイカ食べたり、いろいろして楽しんだ
中でも忘れられないのが座禅
そこは曹洞宗の寺
今では限界集落と言われる地域だが、当時はまだ子どもは多かった
寺の坊さんが、お経をあげる
小学1年生から6年生、近くに住む小学生は、みんなきた
僕らは横に並び、あぐらを組んで、姿勢を正す
いつ終わるか分からないお経を、無の心を目指し、ひたすら聞いている
煩悩まみれの僕らは無の境地へ向かう努力をする
しかし、現実は甘くない
僕らとって、最高の無の境地とは
面白い事を探し
とにかく、無心で遊び、笑う事である
何かないか
笑いの境地を求めていると、やってきた
蚊だ
坊さんのお経と、蚊から放出されるブーンという細い音、いびつな動き
蚊は、僕らを挑発する
ここぞといわんばかりに、舞に舞う
僕の隣には、一つ年下の悪ガキが座っていた
そいつの視界にも蚊が入った
そいつは一人ボソボソと
蚊の、実況中継を始めた
『あっ、あっち行った
やばい、とまった、吸われる
あれ、どっか行った
あっ、あっ、またきた、きたきた
あれ、どっか行った』
蚊の動き、蚊の音、坊さんのお経、ポクポクとリズム正しく鳴り響く木魚
座禅を組んで無の境地にいる僕らに、笑いの境地が襲う
笑ってはいけない
笑ってはいけない場面
笑ってはいけないんだ
強く思えば思うほど、可笑しくてたまらない
腹筋は硬くなり
僕の背中は上下に揺れる
喉の奥で笑いはじめた
すると実況解説者が一人から二人に増えた
僕らは無心の笑いという
最高の境地に達していた
僕らの境地に気づいた坊さんは、お経を止め叱責した
修羅の形相で僕らを睨んでいる
なんてことだ、無心という境地は、
修羅の坊さんすら笑えてしまう
条件が全て揃っていた、あの境地
あの夏に体験した境地は、忘れられない
笑いにも、無の境地があるのだ
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