どっちにしろ人生楽しい、なぜならわたしは陰陽師だから
陰陽師なんて急にどうした?って感じですけど、そう思うんですよねー。
休職中の身ですから、毎日のように「続けようか、やめようか‥どーしよー」って迷うでしょう。それで不安になったりすることもあります。でもね、どっちにしろ人生きっと楽しいんだよねー。なんでそんな風に言いきれるの?って思った方もいるかもしれない。どうしてでしょう。
思えば今まで、いろーんなことを選択してきました。今日何食べる?、あの高校いいなー、ダメだ合わない‥仕事やめるわ、告白されちゃったー、結婚しますか?・・もうちっちゃいことから大きく思えることまで、どーするかを自分の感覚をたよりに決めてきました。
もちろん、全部が自分の望んだとおりになってるわけはなく、第一志望の高校には行けなかったし、彼氏にはフラれたし、結婚するときは家族からぶーぶー言われたし(そんなこともあったなぁ)。いろんな複雑な想いをそれなりに味わってきましたし、あんな想いもう二度としたくないっ!と思うようなこともありました。けれども、そのいろーんな味わい自体を否定しようとは全く思いません。
というのも「感情、思ったこと、考え」に関してまるっとすべて肯定してます。現にそう思ったんだから、自分にとっては疑いようのない事実なんですよね。行動に関しては、すべてを肯定することはとてもできません。人を傷つける言動とか‥今まであったしさ。
なんていうかなー、思ったこととか感じたことを全肯定する姿勢が「どっちにしても人生楽しい」と思えることに繋がってるんじゃないかなー。死ぬまで生きたい、というか。ようは生きることに貪欲なんだと思います。
ここでやっと、陰陽師の話しますけど、陰陽師って、国とか人のために占いやまじないをしてました。それはたたりとか悪いことをできるだけ避けて、良い未来へ導くような存在ですね。そのために暦を作ったり呪文書き付けたりとか、当時の最先端の知識を集めて、そーいうことをしてた。
昔から、人々の思うことっておんなじで。わたしもそう。できるだけ災いには巻き込まれたくないし、希望のある未来を思い描きたい。だから、自分のために自分が陰陽師やってるみたいなそんな感覚です。
そのために知識にふれて、いろんなことを経験して「感情、思ったこと、考え」をせっせと集積してるわけです。すべては「何をするかしないか自分で選択する」ために・・!占いとかまじない、暦は作らないけど、ね。いつか作ってみたいけど。
てことで、色々と書きましたが‥生きることに貪欲で、飽きもせず自分の心をじーーっと眺めること、これがわたしのいいところだなーなんてね。へへへ。
おしまい