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日記は「同じ」と「違う」が共存する世界。
【マガジン:エッセイのある日常(4月 #1)】
Xみてたら、日記屋さんがクラファンしてまして。はて。日記屋さん?そうそう、マーケットとは縁がなさそうな「日記」だけれども、そこに目をつける人がちゃーんといて。現にいま日記本ってよく見かけますもんねー。
日記ならだれでも書けるし、あわよくば・・わしも出版か!?なんてこと妄想しちゃいませんか。そんな身近な存在の日記だけれども、魅力の理由がいまいち腑に落ちてませんでした。
そんなときクラファンのページを読んで、なるほどなーと思ったのでシェアします。
日記はまず「今日」のことを書くために、タイトルに「今日の日付」を入れます。
2024年4月4日(木)。
タイトルを入れたら、あとはつらつら、2024年4月4日のことを書き進めていきます。
(中略)自分以外の人からしたら、2024年4月4日はまた別の2024年4月4日でしかありません。
誰かの日記を読むというのは、そんな自明のことを噛み締めて、世界には違った生き方をしている人がただ存在しているのだと確かめる行為でもある。
あなたもわたしもおんなじ2024年4月4日(木)。やることも重なる部分が結構ありますよ。食べるとかお風呂に入るとか寝るとか・・。人間がやることってそんなに変わんない。けれども一人一人違って、反応するとこも思うことも全然違ってさ。
一緒にいる家族でさえ、そう。たった一つ屋根の下にいるのに、ここまで感じ方が違うかーって思うことありますよね。
世界には違った生き方をしている人がただ存在している
日記って「同じ」と「違う」が共存する世界。
日にちという枠組みの中で、わちゃわちゃと過ごして綴る。
「ただ存在している」ことが実感としてわかると・・他人のことをどうこうしようとか思わない気がする。その人の神聖な場所(一日)での過ごし方って、ほんと自由だと思う。
日記を読んだり書いたりするって、なんか可能性感じるわー。
てなわけで、日記の魅力や可能性をこの本を通して考えてみました。
【今日のトピック】
「わたしの献立日記 | 沢村貞子」 を読んで
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エッセイのある日常。
超個人的マガジン。個人的だけど、どこか集合的。 見ている世界、感じること、思考の断片、なんでも集。 月に4回投稿しています。 日常にしずか…
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