エレガントな日常/お花とコーヒー豆とアイス
あー、、、
お花買いに行かなきゃなー
コーヒーも買わなくちゃ
ピアノスタジオにも行けるかな
あ、ジョギングもやってないなー
あ、ヨガも、、、
朝のベッドの中で目を閉じたまま考えることはこんな感じです。
「あれやりたい!」
というハツラツとしたポジティブ感というよりは
「所用をこなさねば」
という生活臭ぷぅ〜んと漂うスケジュール組み立てを考えているのでした。
でもね。
結構頭使うのですよ。
お花はどこで買おうか?
(頭の中で各お花屋さんをシュミレーション)
今日はどんな色のお花の気分かな?
(心に聞いて色を妄想)
コーヒーは豆か粉か?どこで買う?
(色々イメージ)
ピアノは、、、
(気力体力を体に聞いてみる)
ほらね。
なかなか忙しいのです。
お花にしてもコーヒーにしてもコレ!って定番にしたほうがどんなに楽なんだろうなぁといつも思うのですが、こればかりは「気分」というものがあるため毎回迷うのでした。
ん〜綺麗です。
部屋の中にパッと青色が仲間入りして雰囲気がガラリと変わりました。
生のお花をインテリアとして飾るプロジェクトは順調に進んでいます。
以前はお花は贅沢品かつ消耗品だったのでお金を払うことにとても躊躇していました。
なのに今は迷うことなくお花が欲しくて買い求めてしまうようになりました。
もちろん散財していますけれど、生花ってお財布のヒモを緩めてしまう魅力があることにも気がつきました。
きっとお値段以上の大きなナニカを暮らしや人生に与えてくれるんだろうなぁ。
それにお花を抱えて歩く自分はなんてエレガントなの〜って自己陶酔しちゃうのよね。
だって美しいお花を抱えながら急ぎ足は似合わない。
どうしても丁寧にゆっくりな動作になるのです。
お花を無造作にカゴやエコバッグに放り込めないので、一目散に帰宅しなくちゃなりません。
アチコチ寄り道して余計なものを買わずに済む効果まであるのでした。
すごいすごーい。
フタを開けたとたん「ずんだ餅」の香がしました。
「ずんだ餡」は茹でた枝豆をすりつぶして砂糖と塩を加えたものです。
私は小さいころから家庭の味に慣れていたので市販のものはどうも甘すぎて口に合わないのでした。
ましてやこんなアイスや加工品のずんだには冷たい視線を送り続けていたというのに、、、
1週間前ごろからこのアイスが出始めて熱い視線へとコロッと変わったのでした。
(1回だけ。1回だけ食べてみよう)
"まだ疑っていますよー"
"お手並み拝見よー"
本物のずんだ餅を知っているぞ、という役にも立たないハナクソみたいなプライドを携えていざ試食したらまぁー驚きました。
今の食品の再現力って素晴らしいんですね。
「ずんだ餅のずんだだぁ〜」
と、目を閉じて食べてもハッキリと認識できるものでした。
あぁ、本物のずんだ餅が食べたくなっちゃいました。
(あ、そっちに気持ちが動いたのね)
ちなみにずんだ団子と間違えて何回かウグイス餡を(青えんどう豆)つかまされたことがあります。
あれは本当にガッカリだったなぁ。
色がそっくりなのはやめて欲しいと本気で思いました。
気がつけば夜。
今日はお花とコーヒー豆とアイスを買った他は何もしていません。
ハッ。
ルーティンのお掃除もやっていません。
ま、、、ま、い、、、っか、、
(自分に甘く、よ。甘やかしていいのよ)
今日の瞑想ではマザーテレサと繋がりました。
マザーテレサはこのように教えてくれました。
「目に見えないものを育てるのよ。人によっては子供を育てることによってその人の成長やお役目があるけれど、あなたは目に見えないもの、愛を育てるのです」
私が小さな暖かみのある丸い玉を両手の平に乗せているビジョンが見えました。
(そっか、これが愛の塊なのね。これを育てていけばいいんだ)
マザーテレサとの会話は心の隅々まで暖かい愛で包まれます。
両手のひらに乗せたボール。
さて、どーやって育てていげばいいのがや?
あらあら。
ずんだ餅のことばかり書いていたらつい訛ってしまいましたね。
目に見えない愛のボールはどこまで大きくなるのかなぁ。
私は今日もエレガント。