
ご縁
幼少から
家族問題に悩み続けてきた私は
いつも消えてしまいたい
血縁とはなんなのか?
なぜ自分はこんな家庭に生まれてきたのか?
父のルーツを母方親族に
強引に消されて
日本国籍を選択したのものの、
外国名と日本名
名前は二つあり
父方親族も沢山日本にいる
この自分のアイデンティティは
いったいどこにあるのだろう?
と模索し続けていました。
波乱に満ちた家庭で
いつ何が起きるか分からないので
常に神経を張り巡らせていて
生まれ持った性質と相まって
五感と第六感が発達しすぎて
過敏で生きづらく
思春期に入ってからは
いつも体調が悪く
学校という社会に出たくない
と不登校が大学まで続きました。
父親が怖くすぎて
不良にもなれず
鬱屈したエネルギーが
内側に溜まってしまい
籠る、無口になる
という自己表現でした。
母は負目から
長女の私には過保護で
母とは共依存でもありました。
このままではダメだ
と思い始めたのが
社会に出てから。
新卒で入った会社の同僚が
ファンドホーンという
イギリス北部の
聖なるコミュニティの本を
くれたことが
スピリチュアルな世界への
入口となりました。
その後すぐ彼女は
さっさと会社を辞めて
洞爺湖のコミュニティに
引っ越してしまいました。
今から二十数年前。
ものすごい先見性があった人だな
といま思います。
自分探しで
お金も時間もかけて
ありとあらゆることを
試してみる中で
韓国のお寺の
霊視を出来るお坊さんを知り
家族みんなで
観ていただきました。
その時父の行末は
口ごもっていらっしゃいましたが
いまその通りです。
最初は現実を受け入れられず
昨年の前半は随分と泣きました。
でも父の話を聴くごとに
父の中では筋が通っていて
自分で全部決めてきたのが分かり
わたしもいくら父であっても
命は別々で出来ることは
限りがあり見守るしかない
ということを学びました。
そして恨んで憎んできたストーリーは
戦争や日本社会の差別や偏見
私の周りにいる人たちの
フィルターがかかった
ものの見方に過ぎず
オセロの黒が白にひっくり返った
そんな感覚もありました。
ありのままを見るって
ことなのかも、と。
2017年春
私は手術をして
臓器を全摘しました。
麻酔が覚める過程で
宇宙に行って帰る感じ
悪縁が断ち切られる感じがあり
ご神仏を利用して
スピ好きの女性に
悪徳商売をしていた男について
この人と繋がっていてはだめだと
朦朧とする中
Facebookの友達を解除して
ブロックしました。
そのことに気づかせてくれる
その男の自分に対する悪態と
それを一喝して撃退した
元極道のお坊さんに
「気づかせて頂きありがとうございます」
とメッセージしたら
明け方でしたがすぐに何のことか理解して
返信を下さいました。
私は鑑定してもらった後
しばらくそのお寺に通い
般若心経や色んなことを学び
毎回ご飯もご馳走になりました。
与えてもらうことが当たり前で
傲慢なわたしは感謝がまったくなかった。
退院して
仕事もなく
お金もなく
暇を持て余していた私は
そのことを思い出して
お腹が痛かったけど
お礼を言いたいと
電車に乗って
その韓国のお寺に
お坊さんに会いにいきました。
お金はなんとかなるから
とにかく今は身体を第一に
半年は休んだ方がいい。
傷の回復に
ワカメや豚肉がよいから、
自分も手術直後から無理をして
その後大変だった、
と教えてくれました。
ご飯を出してくださり
修行されている女性と
しんとした佛堂の中で
ご飯を食べました。
自分は東日本大震災のとき
天から悪魔が降りてくるのを見たが
何も出来なかったことに
責任を感じている。
これからアメリカに行くが
多分帰って来れないから
般若心経をよくよく学ぶように
と言われました。
とても驚きました。
でも先生が決めたことなんだ、と。
その後しばらくして
お寺はクローズされました。
実はズンドコな1年だった2024年初め
私は無理がたたり
体調が突然悪くなり
2月に階段で転けて
肩甲骨と脊髄を痛めました。
大したことない、
と放置していて
6月には右目眼球の毛細血管が切れたり
いま両腕が痛くて動かしづらい。
治療、とうしたらいいだろう?
と探していて
知人の紹介で人格的にも素晴らしい
超ご多忙な
名治療家の先生が
たまたま出張のご予定が
キャンセルになった、と
すぐに診てもらうことができました。
先生はものすごい目力で
私を観察していて
話もよく聞いてくださり
父のことも話しましたところ
「ものすごい強靭な精神力の
お父様だね。でもあなたも
その血を注いでいるんだよ。
人を導く人は他の人より
試練が多いんだよ」
と言ってくださいました。
私は人を導くのだろうか?
と思いましたが
その言葉が私の支えになり
先生から教えて頂きました
健康を回復させる体操を
その後毎朝しています。
必ず、先生の下で
大和撫子としてのあり方を学びたい。
そして自分で自分の身体を治したい。