【大阪考】#4 大阪基礎考察3 「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな」って会話は本当にあるのか?大阪人はそんなにストレートにおカネの話はしないはず。
ここは大阪のある街角。二人の人物がばったり出会う。
「ああ、お久しぶりです、乾屋さん!」
「これはこれは!辰巳屋の若旦さんやないですか!」
「そうやそうや、聞きたいことあったんです!すごい面白い取り組みを始めはったやないですか。話聞きたかったんです」
「おお、ご存じでしたか。会社の若いのがこういうの始めたらどうですか、って言ってきたんで、始めたんですわ」
「へぇ!若い人のご意見を取り入れられる乾屋さん、やっぱり尊敬しますわぁ」
「いやいや、商売は若い人のアイデアのほうが鋭くてね。私なんてもうトシやから。『やってみなはれ』って言うのが仕事みたいなもんですわ」
「そこですよ、そこがスゴイんですよ!私も乾屋さんみたいになりたいなぁ」
「何言うてはりますのん。若旦さんもその若さで顔が広うて、バリバリ事業を進めてはる、って聞いてまっせ」
「いやいや、そんな、バリバリやなんて滅相もないです。でも、今やってることは成長しそうで楽しいです!」
「そうでっか!それはよかった!また今度、ゆっくり話きかせてもらえやしませんやろか」
「何をおっしゃいます、僕のほうが乾屋さんの話を聞きたいのに!もったいなや」
「ほな、今度はこんな立ち話やなくて、ゆっくり美味しいお酒飲みながらお話しましょ」
「ありがたいお誘い!ぜひぜひ近々ご一献願います!またこちらからお声かけさせてもらいます!」
「ほな、また!」
「はい、また!」
別れた二人は乾屋の主人と、辰巳屋の二代目若社長。
この二人、ともになかなかのやり手で、人物も好い。
ビジネスの話が好きなので、歳は離れているがウマも合う。
話終わって、別れてそれぞれ一人になって、お互い思う。
「あれは、ちゃんと儲かってるな・・・」
「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな」とはビジネスマンは実は言わないはずである。
なぜなら、同じビジネスマンなら、お互いが手掛けている事業を知らないわけがないからであり、
本人に聞かずともいろんな方面から情報は入ってくるものであるからだ。
「なにわのあきんど」というイメージのせいか、
おカネにがめつく、なんでも商売・カネ・ゼニの話と思われるかもしれないが、
「あきんど」だからこそ、そのビジネスマンとしての機微を大事にしており、
むしろおカネの話をすることはなく、「商売」「事業」の話のほうが大事だったりする。
江戸の「粋」、「野暮」という言葉があるが、大阪人にもきちんと「粋」と「野暮」がある。
「カネの話」は野暮だが、「商売の話」は野暮ではないのだ。
さて、
乾屋と辰巳屋の会話に「もうかりまっか?」が出てこなかったように、お互いリスペクトする相手からはちゃんと「汲み取れる」のである。
ということは、なぜ、「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな」が「なにわのあきんど」のステレオタイプのように言われるようになったかのか。
これは考察が必要だ。
正直、ルーツは分からない。
落語にあった、とか、漫談にあった、というのはあるようだが、明確なソースは無い。
では、誤解から来た、という考え方でいけばどうだろう。
ある大阪人が何か聞かれて「『ぼちぼち』です」と答えたとしよう。
どんな問いかけに「ぼちぼち」と答えたか、である。
昔から大阪といえば商いの国。
戦国時代には貿易で栄えたし、大阪湾という海運の要衝を抱えるだけに様々なもののハブとして流通していた。
当然、「商売は盛ん」なのである。
大阪人=なにわのあきんどという構図で考えれば、
なにわのあきんどがなんと問いかけたか、と考える。
商人が問いかける言葉なら「商売の調子はどうですか?」であろう。
それが「もうかってまっか?」となる。
「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな」、これは非常に自然に当てはまるのではないだろうか。
お金の話に敏感で、何かを量る尺度は基本的にお金、というイメージが醸成された大阪人がいかにも言いそうである。
ある笑い話に、
大阪人「洋服買わなあかんねん」
東京人「なんで買うの?」
大阪人「今日は現金持ってないからクレジットカードで買うしかないわ」
とか
東京人「おしゃれな服ね」
大阪人「ええやろー」
東京人「どこで買ったの?」
大阪人「●●ってブランドでセールで5,000円!」
という、東京の人はお金の話にするつもりは全くないのに、なぜかお金の話になる、というものがあったりする。
大阪人はあけすけにお金の話をする生きものだ、というあるある話なのだが、そこは否定しないものの、だからこそ「もうかりまっか?」というお金にまつわる話がしっくりくるのではないだろうか。
本来なら、「大阪人はそんなにお金にいやしくないわ!」と否定するところかもしれないが、大阪人は「ネタ」として受け入れているのだ。
これは「イジられてるなら、ネタにしてまえ」という笑いへの変換作業が得意な大阪人ならではのマインドにちがいない。
実際に、気の知れた友人同士の会話なら、これはあり得る。
「おう、山田、ひさしぶり!で、『もうかりまっか?』」
「『ぼちぼちでんな』、鈴木くん」
となるのである。
それがいつの間にか、大阪人の会話として認知されているのではないだろうか。
さて、では実際に「ぼちぼちでんな」はどういう問いかけに使うのだろうか。
「最近、調子どお?」「ぼちぼちやな」
「忙しそうやなー」「いや、ぼちぼち、やで」」
「奥さんの体調良くなった?」「おかげさんでぼちぼち、やね」
「成績、上がってるやん!」「それほどでもないで、ぼちぼち、ってところやわ」
お金の話以外でも十分返事として成立する非常に優秀な、角の立たない返答であるというのがわかってくる。
もちろん、声のトーンでも「ぼちぼち」がどのくらいの進捗を示すのかを表現できるし、
なにか目標に向かって進んでいるとしたら、まだ目標には程遠い、という謙遜をしながらも、着実に進んでる、と伝えることもできる。
「ぼちぼち」というのは進捗を表現する婉曲表現の極致なのだ。
さて、では、本当に「もうかりまっか?」と聞いてくる無粋な商売人にはどう答えるのか。
となるとやっぱり「ぼちぼちでんな」と答えるのがベスト、ということになる。
無粋な相手に「儲かってるで!」と明言すれば、後で何を言われるかわかったもんじゃない。無粋なヤツに奢ってやるような無駄な金は、無い。
逆に「まだ赤字や」と答えれば、また無粋に心配しておせっかいしてくるやもしれぬ。
となると、お茶を濁して正確な情報を与えない「ぼちぼち」は最高の返答なのである。
では、普通の大阪人が「もうかりまっか?」と相手に聞く時はどんな時なのか?
そもそも無粋だが、ネタにできるマインドがある大阪人だ。絶対言わない、とは限らない。
この場合は、確実に相手が儲かっている、と知っているときである。
相手に「ぼちぼちでんな」と言わせて、お互いひと笑いのための「フリ」として使うのだ。
お金にいやしい、がめつい、ケチ、という否定的なポジションを、
あえて受けいれ、ポジティブな笑いに変える。
「否定的なポジション」を笑いに変える、というのは「自虐」ではない。
むしろそれを強みとして、大阪人の「長所」として笑いに変えているのだ。
これが大阪人のマインドなのだ。ほんまかいな。
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