主題を決めて書く。
なにか主題を決めることが大切だ。
主題をきめて、そのことについてできるだけ長く書く。途中であきらめることなく、反証や反論や再反論もふくめて、書き連ねる。そういうところから考えはまとまっていくのだ。
ともすればぼくは数行程度でやめてしまう。まだ息切れもしていないのに、そのほうが格好がつくから、後日に使いやすいからという理由で、みずから筆を置いてしまう。
だから単発の、きれぎれの思考しかうまれないし、長文を書き連ねる体力が鍛えられない。
読むことを中核に据えて、書くことを副次的なものととらえるから、そうなる。
ぼくにとっては書くことこそが中核ではないのか?
そのためにひとりの時間をとっているのでは?
長文を書けるようになるため、苦もなくひとまとまりの文章を生み出すことができるようになるため、ぼくはじぶんに負荷をかけなくてはならない。
考えは書きながら生み出されていく。
さいごのことばがつづくことばを呼び、思考が連綿と続いていく。
そういうかたちで書かねばならない。
せっかくえんえんと書き連ねることができるテキストエディタを用いているのだ、情報カードや付箋などではなく。
スペースの制限がないのだから、止めなくてはならない謂れはない。
文章はある分量を超えると、ひとり歩きをはじめる。
ぱっと流し見ただけで全貌を掴むことができなくなり、目で追って読まなくてはならないものへと変化していく。そうなると、じぶんの意志だけで統御しきれるようなものではなくなっていく。この地点に達したとき、作品はじぶんからかけ離れていってくれる。
それこそが執筆の醍醐味だ。
ぼくは、まだ書くよろこびを充分に味わってはいない。
まずは、じぶんをぞんぶんに楽しませなくては。