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いい気な野郎ども

「女性は女性議員に投票しない。女性というものは女性が嫌いなんじゃないだろうか」という知人男性の嘆きがあった。我が国に女性政治家が少ないのは、女性立候補者が出ても当選しないからであり、それは女性が女性に投票すれば解決する、というのが彼の問いである。

うーむ、これはどうなんだろう。女性立候補者は数が少ないから、もしかしたら有権者の半数に当たる人々=女性がこぞって投票すれば可能性はあるかも知れない。彼は続けて言う。女性なら誰でもいいのだ、と。まずは女性議員が増えないことには変わらないのだから、と。

さて、これはどうなんだろう。本当にどんな主旨の議員でも女性議員が増えれば世の中は変わるのか?少なくとも議会は変わるのか?確かに地方議会などの、男性議員による女性議員へのハラスメントは女性議員の数が増えればやりにくくなるだろうか。

私は深くため息をつく。君、君の女性のSNS友達がこの件については誰も一言も発しないことについて、まず気づけ?そして考えろ?なぜ知人友人女性が、この意見について一様に押し黙るのかを。

私は腹立ちまぎれに内心で叫んだ。
君は女達の集まりにいつでも快く送り出してきたの?
君の町ではPTAの会長にどれくらい女性がいるのよ?
地方議員の根っこになる町会の会長さんは女性なの?
勉強会や活動グループにどれくらい女性リーダーがいる?みんな副会長に留まっているのではない?会長になれない事情を君は聞いたことがあったの?
そもそも志はあっても、女には圧倒的に時間がないのを君は知ってるの?
かつて妻だった人が何かしたい時に万難を排して協力してきたの?
子育ては本当にやってきたと言えるの?
手伝うのでなく、名前のつかない家事雑事を含めて家政の運営には真剣に向き合ってきたの?

そこまで心の中で口を尖らせて、やっぱりだめだ、多分全然通じないよね、と思った。そう。だから女は黙る。おじさん達、おじいさん達という私世代の男性に、私はもう諦めしかない。そんな女は多いのです。

そもそも一般的な女には時間がない。1日が24時間なのは誰も同じである。なのに、夫婦共働きと言えど、子どもが小さいうちの発熱などの急な休みに夫が医者に付き添い、仕事を休むのは夫婦でどれくらいの割合だろう?妻8割、夫2割くらいではなかろうか。卑近な例だが、現在30代の私の娘夫婦もそうである。
子育てのための時短勤務をしている男女比はどれくらいだろう?時短勤務男性というのを私は知らない。

長いこと、育児、介護などのケア労働が家族に押し付けられてきたことが最近挙げられるようになった。そんな時代に「自己責任」とか「自助」などと言ったのが少し前の総理大臣なのだから、ケア労働という新たな業界の進歩を遅らせてる政治グループも現存する。この国の経済が停滞している理由のひとつにも挙げられる。

ケア労働をきちんと評価して、見合った対価を払おう、少なくとも尊敬を払おうという運動は男女同権が謳われた時点で為されるべきだったのかも知れない。

いや、今やっとそう思える。しかし、それまで財産権も選挙権も、自分の人生の決定権すらなかった女性にとっては想像もつかなかっただろう。時代を経て、やっとそこに目が向いた。(と、いうことは今は見えなくてもこれからも多くのことに気づく可能性があるということでもある。)

そこを具体的に変えようと活動できるのは、ケア労働が終わった世代の女性か、ケア労働を免れている限定的時間にいる女性。本当にはケア労働を免れている男性こそが持っている十分な時間を使って改善できる立場だ。

しかし男性は自分達が得ている「ケア労働から免れている」という特権に気付かない。いや、気づくかも知れないが、実際にやってみなければその精神的体力的な重労働と報われなさを体感することはできない。ケアされる側する側の身内だからこその苦しさにも気付かない。

そして、本当に改革を日々必要と感じている、悲鳴を上げている世代はそんな時間も体力もないのだ。そういう女達に協力の手も貸さず生きてきたような野郎に「女性は女性が嫌いなのか」などと曰わられると、飛び蹴りを食わせてやりたい気になる。

せめて投票日までに忙しい人々が立候補者について、その政策について知るための時間を増やすとか、情報を得たり学ぶ間、ケア労働を変わるとか、彼らの負担を変わって担うとか、できることを最大にやれ、と私はいい気な野郎どもに言いたいよ。教えるとか、上から目線の行動は要らんから。

そして、選挙運動に妻や娘など、家族を駆り出す男性議員(多い!)を見るにつけ、反対はありうるんだろうか?と考えてしまうんだ。妻が立候補したら君は何を引き受けるんだろうね?