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【『百人一首』と人生と】別れの日は、いつか必ず、来るんだね(蝉丸)
これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関
【意訳】
これがあの、有名な「逢坂(おうさか)の関(せき)」ですよ。
旅に出る人が、見送りに来た人と別れる所。
旅から戻った人が、迎えに来た人と再会する所。
顔見知りの人、知らない人、非常に多くの人が出会ったり、別れたりする所。それが、逢坂の関。
人生にも、いろんな出会いと別れがありますね。
【解説】
「逢坂の関」は、山城国(やましろのくに・現在の京都府)と近江国(おうみのくに・現在の滋賀県)の境にありました。
都から東国(とうごく)や北陸へ向かう旅人が、最初に通過する関所だったのです。都の人が、ここまで見送りに来る習慣があったので、いつも混雑していたのでしょう。
この歌を詠んだ蝉丸(せみまる)は、逢坂の関の近くに住んでいた琵琶法師(びわほうし)だったといわれています。毎日、多くの人の行き交う姿を見て、彼は、何を感じたのでしょうか。
『百人一首』の注釈書(ちゅうしゃくしょ)には、「会者定離(えしゃじょうり)」のことわりを詠んだもの、と書かれています。
「会者定離」とは、
「出会った人とは、いつか必ず別れる日が来る」
「永遠に一緒にいることはできない」
と、世の無常を教えた釈迦(しゃか)の言葉です。
「そんなことは分かっている」と、誰でも思うでしょう。しかし、このような歌を詠んだ人があります。
会者定離 ありとはかねて 聞きしかど
昨日今日とは 思わざりけり
突然の不幸に直面した作者は、
「いつか必ず別れる日が来ることは分かっていたけれど、まさか今日、その日を迎えるとは、夢にも思っていなかった」
と泣き崩れているのです。
大切な人と、しばらく会えなくても寂しいのです。
まして、突然、この世を旅立ち、永遠に別れることになった悲しさ、悔しさは、言葉では言い尽くせません。
いつ、別れが来るか分からない無常の世だからこそ、今生(こんじょう)で出会った妻や夫、家族、友人との、一日一日を大切にして過ごしたいものです。
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蝉丸
生没年も、経歴も詳しく分かっていません。