【『百人一首』と人生と】あなたなんかに、私の気持ちが、分かるもんですか(藤原道綱母)
【意訳】
嘆きながら、一人でわびしく寝ている夜は、朝までの時間が、どんなに長く感じるか、お分かりですか。あなたには、お分かりにならないでしょうね。
【解説】
「嘆きつつ……」
この歌の作者は、何を嘆いているのでしょうか。
作者の名は「道綱母(みちつなのはは)」とあるだけで、本名は分かりません。彼女は、平安時代の中流貴族の娘です。和歌の名手であり、「本朝三美人」の一人といわれる美しい人だったようです。
そんな彼女へ、上流貴族の御曹司・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)から熱烈な恋歌が届き、やがて結婚。翌年には、息子(道綱)が誕生します。
周りからは「幸せをつかんだ女性」に見えたことでしょう。果たして、本当に幸福だったのでしょうか。
その手掛かりは『蜻蛉(かげろう)日記』にあります。
道綱母は、兼家との20年間にわたる結婚生活の現実を書き残していたのです。しかも、日記の序文には、「高い身分の人と結婚した女は、どんな暮らしをしているのだろうと尋ねる人があったら、その答えの一例にしてほしい」と記しています。
『百人一首』に選ばれたこの歌は、『蜻蛉日記』の中に出てきます。どんな場面で詠んだ歌なのでしょうか。その部分を意訳してみましょう。
◆ ◆
妊娠して普通の体ではなくなって、春、夏とつらい日々を送っていましたが、8月の末頃に出産することができました。その前後の、あの人の心遣いは、さすがに温かいものでした。
ところが9月になって、あの人が家を出ていった時に、何気なく文箱(ふばこ)を開けると、他の女に贈ろうとしていた手紙が入っていたのです。私は、驚くとともに、あきれてしまいました。
そのうちに、夕方になると、「宮中に大事な用事ができた」と言って家を出ていくので、不審に思って、人に後をつけさせました。
すると、「町の中の、ある家にお入りになりました」と報告してくるではありませんか。全く、やりきれない思いになってしまいました。
夜明け前に、門をたたく音がしました。あの人が帰ってきたのです。でも、気が進まず、そのまま門を開けないでいると、例の女の家へ行ってしまいました。
私は、このまま黙って済ますわけにはいかないので、
嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は
いかに久しき ものとかは知る
と歌を書き、枯れて色の変わった菊に挿して、あの人へ届けさせました。
すると、「戸を開けてくれるまで待とうと思っていたのだが、急な使いが来たので、引き返したのだよ。あなたの言われることはまことに、もっともなことだと思う」と返事がありました。
その後、何もなかったように平然として帰ってくる無神経さに、ますますやりきれない思いが募っていくのです。
◆ ◆
道綱母は、『蜻蛉日記』上巻を、こう結んでいます。
「このように年月は過ぎていき、思いどおりにならないことを嘆き続けています。心細い身の上を思うと、この日記は、まるで蜻蛉(かげろう)のような、儚い女の半生の記録といっていいでしょう」
藤原道綱母
954年に藤原兼家と結婚し、翌年、道綱を生む。『蜻蛉日記』の作者。