ビルに入り込んだ夏
雨の後だった。
ちょうど電線がブルって震えて、耳がしんと静まるような昼下がり。風は上空で手をつないでコーラスしてる。
「おとうさん、見て!」
5歳の娘に叩かれて、目を上げた。
「大変なの! ほら、あそこ!!」
娘が指さした先にはガラス張りのビル。ビルはまるで優しい天使のように、羽をたたみ膝を抱えて静止していた。白い雲と青空を写して光っている。
「大変? ビルが?」
と、僕は首を傾げた。いったい何が大変なんだろう。
「大変なの、おとうさん」
娘は口をあんぐり開けて言った。
「空と雲がビルの中に入ってる! ビルの人、雲で真っ白?」
僕はビルの窓ガラスに写った青空と白い入道雲を見つめ、思わず微笑んだ。それから、雲でいっぱいになっているオフィスや歯科医院の入ったフロアを思った。
「こりゃあ大変だ」
と、僕は娘に目配せする。
「きっと、ビルの中も夏だ。大人になって思い出した時、心が透き通っていくような」
娘は何もわからないまま、あるいは何もかもわかってしまってるような顔をして、トコトコと歩き出した。
僕は小さな子どもの後に続いて、この一度きりの夏を追いかけていく。