なくてもいい写真
その人は誰からも相手にされず、誰の視線も相手にせず、ただ空だけにカメラを向けていた。木や鳥や山さえフレームには入れてもらえない。おじさんは仰向くようにして空だけを撮っている。
あいにく、なのかな。
その日は快晴で雲ひとつなく、いい絵にはならないだろう。きっとそれはなくてもいい写真。撮ってもしかたのない空っぽの青の写真。
時間が止まったような午後の光の中で、おじさんはシャッターに指を掛けそれっきり。ファインダーをのぞいたままなんだか耳をすましているようで、それってカメラとおしゃべりしてるみたい。
カメラはこんなふうに語っているらしかった。
「おいら、あんたが好きだよ。だって、指差すやつを差し返さないで黙々とファインダーをのぞいてる。空のずっと高い場所にピントを決めて、自分がどうしたいのかをわかってるんだ」
おじさんは黙ったまま、右に数歩動いた。カメラの位置がすうっと横に滑っていく。
「あんたがのぞいた瞬間、空は空でなくなる。それはジャムの空き瓶の中で踊ってる水色だ。画用紙に筆を下ろすことを知らない無邪気な手だけに作れる一度きりのブルーなんだ」
おじさんは被っていた帽子をずらし、ぐっと脇を締めた。
「空を忘れた人たちがあんたを笑うだろう。空に向かって時間を費やすことを何億もの人がばかにするだろう。でもな」
カメラはそう言って、ふふっと微笑んだ。
「幸せだろ?」
おじさんがシャッターを切った。
そこには青空しかなかった。
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